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出来ないことも分からないこともやりたくないことも越えた先に、やるべきことはあるのかなぁ…。

自己啓発やライフハックといった情報に触れたことのある方は、きっと「NO!」と答えるのかもしれませんね。

上記の著者である八木仁平氏は「好きなこと」「得意なこと」「大事にしたいこと」が肝要であると述べています。

上記の著者である佐々木眞一氏は、「やるべきこと」「やれること」「やりたいこと」のバランスが仕事の本質を語っていると述べています。

つまり、「出来ないこと」「分からないこと」「やりたくないこと」をやることが、必ずしも「やるべきこと」につながらないと示唆しているのかもしれません。

また、このように自分がやるべきではない仕事に時間や労力といったリソースを割くことの非効率さを上記の著者であるグレッグ マキューン氏は説いています。

…ですが、多くの方が感じているように、これらの書籍が示すような道を、探すことすら困難な社会で、果たして自分らしい生き方など出来るのでしょうか?

そして、誰かがアウトソースした「やりたくないこと」は、必ずしも別の誰かの「やりたいこと」にはならないであろうし、そういった他者の「やりたくないこと」を誰かが行っているからこそ、社会は回っているのだと思うのです。

モノクロ・スタッフ・女性・従業員・仕事・屋内・店舗

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自分に決定権のない業務を行うとき、「これは誰かのやりたくないことなのだろうか?」と自問するときがあります。

また、会社には部署や役職が存在し、それぞれが踏み越えてはならない領域があると私は考えています。

一社員が、社の命運を分けるような決裁を独断で行ってはならないように、経営者が、自分の追うべき責務を一社員に渡してはいけないと思うのです。

「出来ない」「分からない」「やりたくない」は、後ろ向きな心情で吐露する言葉ではなく、自分の職域や領分を弁えているからこそ感じることでもあるのだな…と感じています。

ですが、もし、その先にしかゴールがないのだとしたら…?

そんなことを考えさせられる一日でした。

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最後までお読みいただきありがとうございました。

今回の投稿は以上です。

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