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「経験値」に囚われないで
私たちにも、ゲームのキャラクターのような「レベル」という概念が存在するのでしょうか?
もう10年近くゲームをプレイしたことのない私が、ゲームの話をするのは自分でも無理があるように感じています。
それでも、ゲームに例えることで伝わる表現も多いと思うので書き進めたいと思います。
ゲームを愛してやまない方にとって、違和感のある部分があるかもしれませんが、ご容赦願いたいと思います。
どうか、最後までお付き合いいただけると幸いです。
さて、昨今のゲームでは、キャラクターのパラメータ上昇を司る「レベル」のほかに、魔法やスキルの熟練度を示す「レベル」、あるいは、職業などのステータスに対する「レベル」など、複数の概念が誕生しているように感じます。
それらに共通するモノが「経験値」だと私は認識しているのですが、大きな誤差はないでしょうか?
例えば、一般的な条件として、一定の数値を満たせばレベルアップが果たされることでしょう。
そのために、出現するモンスターなどには、その強さによって獲得できる経験値が設定されており、倒すことで「経験値」を得て、レベルアップすることができます。
…ここからが本題なのですが、私たちが生きる現実世界において、「経験値」という概念は、果たして本当に存在するのでしょうか?
ちょっと考えてみてほしいのです。
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仕事を例に考えてみましょう。
営業職の方にとっては、新規顧客の開拓やルート営業先での恒常的な販路の確保などが「経験値」を積むイベントだと思います。
訪問先の顧客と契約できればレベルアップと考えることができるでしょうし、そうでなくても、多くの顧客と接すること自体がレベルアップの要素かもしれません。
事務職の方にとっては、電話対応件数や資料作成枚数が「経験値」となってレベルアップに資する行動になるかもしれません。
また、どの職業であっても、社会性や社交性、モラルやマナーを獲得する行為が、ビジネスマンとしてのレベルアップにつながるかもしれません。
では、改めて問いかけたいと思います。
私たちが生きる現実世界において、「経験値」という概念は、果たして本当に存在するのでしょうか?
「経験値」とは、簡単に言ってしまえば「経験という概念を数の大きさで示したもの」だと考えることができると思います。
つまりは「数値化できる経験」を指すと私は定義づけることができると考えています。
先述の契約数や訪問数、件数や枚数は「数」という言葉の通りに「数値化できる経験」と言えるでしょう。
…ここで、新しい問いが生じます。
私たちは生まれながらに個別の能力を有した、全く別の生命体です。
同じ「数値化できる経験」をしても、そこから得る経験に対して差が生じるのであれば、その一つの事象に与えた「値」に何の意味があるのでしょうか?
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あくまでも「良し悪し」ではなく例示に過ぎないのですが、「数値=経験」と錯覚しているものが世の中には多すぎるのではないか?と、私は思うのです。
「年間○○冊は読書しています」
100冊から10のことを学ぶ人と、1冊から10のことを学ぶ人のどちらが「経験値」を積んでいるのでしょう?
「過去に○○人を指導してきました」
指導者という立場に立たずとも、多くの人を導いてきた人だっていることでしょう。
「現在、代表取締役をしています」
…これは一見すると数値ではないと感じるかもしれませんが、職位を定量化すると「一般社員<代表取締役」という構図が浮かび上がります。
ですが、必ずしも代表取締役という職位の人間が、一般社員よりも能力的に優れているワケではないですよね?
私たちは、「経験」という見えない情報をどうにか可視化するために「経験値」という概念を持ち込むのですが、「経験=経験値」の等式は決して成り立たないのだと私は考えるのです。
なぜなら、そもそも経験とは標準化できないモノだからです。
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経験の数値化は、どのように私たちの世界に浸透してきたのでしょうか?
歴史的な根拠は分かりませんが、ハッキリ言えるのは「差別」という概念から生じているということではないでしょうか?
他者よりも優れていることを示すため。
アイデンティティの獲得のため。
そして、自分や他者を偽るため…。
「数字は嘘をつかない」という格言がありますが、それを用いる人間は嘘をつくことのできる存在です。
「経験値」という概念は何のためにあるのでしょうか?
それは、積み上げてきた「経験」をちゃんと推し量れるものなのでしょうか?
また、「経験」とは何でしょうか?
本来、数値化する必要があったものなのでしょうか?
私が示したように、もしも「差別化」のための指標なのだとしたら、これからのノーマライゼーションを謳う社会において、どのような意味を成すモノなのでしょうか?
私たちは、「経験値」に囚われることなく「経験」を視る慧眼を養っていく必要があるように思うのですが、あなたはどのように感じたでしょうか?
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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
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