死ぬ日を決めてみた
死にたいのではなくて、もう生きるエネルギーがごくわずかになっていて寿命が近づいてきているという感覚。
その生きるエネルギーを毒親との子供時代やブラック会社でかなり使ってしまった
今思えばさっさとそんな環境から抜け出さなきゃいけなかった
子どもの頃は無理だったと思うけど、それでもできる範囲でいいから抜け出すべきだった
それに気付いたのは既にエネルギーがごくわずかになってしまった今日この頃
「まだ大丈夫」「ここさえ乗り越えられれば」
そう思って乗り越えてきて振り返ったらいつの間にか十数年が経ってしまっていた
エネルギーがなくなってからはもう遅いんだ
手遅れになるんだ
そんな大事なことに気付かなかった
親や人に気を遣っても、そんな気を遣った人は上手く私を利用していつの間にか姿を消す
そんな人のためになぜ今まで生きるエネルギーを使ってしまっていたのか
後悔しても時間はもう戻らない
「これからやり直せばいい」という言葉も聞くけど
それは「これからやり直す」エネルギーが残ってる人だけができることだと思う
休みもしてみたけど、休めば休むほどもう生きれないという志向から逃げられない
かといって活動する気力ももうない
よく言われる規則正しい生活リズムを心がけて~って心療内科で腐るほど言われたけど、それができたら最初からこんな思いしてない
それは確かに正しいアドバイスではある、正しすぎるくらいに。
例えば選択肢がいくつもあって、絶対これを選んだ方が自分にとっていいことでも選べない、選びたくても
それを選んだことによって起きるトラブルを乗り越える体力が残ってないから
トラブルを乗り越えたその先が想像できても
今まではなんとなく死ぬ日はそんな遠い未来じゃないだろうなと思いつつ過ごしてた
でも死ぬことをもっと具体的に現実的に考えてみた
そうしたら少しだけど安心感が芽生えた気がした。
物、データ、人間関係などを一気に断捨離したり
まっさらな状態が心地よかった
死への準備とでもいうのだろうか
私が今生きてるのは大好きなペットたちを世話するため
ペットたちいなかったら生きる理由もないのでとっくに死んでたと思う
でも最近はその理由を超すぐらいの死へ近づいている気がする
私がいなくなった後にペット達を任せられる人間関係など私は持っていない
死ぬのだってお金かかるし
死んだって絶対誰かの迷惑になるし
生きるのも死ぬのもめんどくさいなって思う
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?