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①なぜストリートパフォーマーになったの?

この質問を要されるので、需要があるかな?

と思い書いてみますね。

そもそもストリートパフォーマー(大道芸人)になろうと思ったことは最初全くなかったので、自然となっていた、というのが流れです。

多分、皆んなそうだと思うんです。偶然、その仕事をしているんだと思うんです。
僕はそれがストリートパフォーマンスでした。


大学時代に趣味でストリートダンスをしていたんです。
外のガラスの前で仲間達とよく練習していました。
それまで自己表現のような自主的に表現するようなことはした事がなかったので、とても新鮮でした。

ダンスを初めて半年くらいで仲間といくつかチームを組み、深夜のクラブに出演していました。

真夜中の新宿、六本木、渋谷、池袋、横浜石川町、、とても刺激的な時間でした。運動した後の夜中に食べるラーメンも美味しく感じられ、、悩みなんてこれっぽっちもない時。

ダンスを初めて2年。
僕にはフィラデルフィアにジャズピアニスの従兄弟がいます。
大学卒業の時に2週間ほどニューヨークとフィラデルフィアに会いに行く機会がありまして、その時に初めてダンスのストリートパフォーマンスを見ました。

“そういえば、日本ではストリートダンスをストリートで見ないなぁ、やってみたいなぁ”と思ったのが、初めの動機でした。

ストリートダンスって表記なのに、ストリートじゃなくてクラブやスタジオでしか踊れないんじゃ、違うでしょ、みたいに考えました。

私のストリートパフォーマンス(大道芸)はストリートダンスが動機なのです。
それは今でも変わりません。

日本に帰ってきて、やってみることにしました。

始めたのは2003年〜2004年。詳しくは実は覚えてないんです。確かそれくらい。

誰にも教えてもらった覚えもないです。ひたすら、駅前の広場で音楽をかけてパフォーマンスをしてみました。
いろんな人に「頑張って」と言われ、心地よかったです。
警察の方も優しい方ばかりで、「道を塞がないようにな〜」という感じでした。

1年もしていると、いろいろな場所に行くようになり、だんだん大道芸を目にするようになります。
「いろんな人がいるんだな、、すごい人集めてるな、、」

僕のような仲間はいるかな、、と思い、インターネットで色々調べてみると、ダンスメインでストリートパフォーマンスをしている人が、ほとんどいないことに気づきました。

「ん、、これは、もしかして、自分以外にダンスメインのストリートパフォーマーがいないんだな、、」

大道芸人になりたいとは思いませんでしたが、ダンスメインで大道芸人くらい人を集められたらすごいことなんじゃないかな?くらいに考えていました。

ちょっとストリートパフォーマンスで頑張ってみようと思い、駅前でパフォーマンスをする上で自分の中でいくつかルールを持ちました。

何か目標というか、向上心を持ち始めると、どうやって頑張っていこうか、、みたいなのってあると思うんです。それです。
まず、上手くなる為には、行える場所に愛される事、自分の心持ちをハッキリさせる事。この2点を持ちました。

それが以下4つ
・毎週毎週、同じ駅でパフォーマンスをしない事
・1回ごとに少しでも修正しながら行う事
・駅前広場で働いている人に挨拶をする事
・ゴミ拾いをする事

毎週毎週、同じ駅でパフォーマンスをしない事

同じ場所でいつも同じパフォーマンスをしているのを見たら、僕だったら嫌だな、と思う。
時々来ているなら、楽しめる気がする。逆の立場で嫌なことは自分がしない。それだけです。そして、当然のことながら、公共の広場を少しの時間使わせて頂いているという感覚でしたので、自分の場所だと勘違いしてはいけない、、と自分ルールですが思っていました(綺麗事ではありますが汗)。
なので、大体1ヶ月に1回か2ヶ月に1回しか同じ場所では行っていません。それは今も。

この事は後々、思ってもいない所で、とても良い結果を生み出してきます。
様々な場所でパフォーマンスをする事で、色々なタイプの人々を相手にすることになるんです。
そうなると、全体的に全ての人に対応できるパフォーマンスになるのです。
これはとても良い結果を生み出しました。

関東になりますが、例えば、夜の歌舞伎町にいる方々と、昼間の町田にいる方々と異なりますし、松戸の方々と横浜の方々も電車で行ける距離とは言え、全く反応が異なるのです。拍手や盛り上がるポイント、初めの距離感、男女比、年齢層のボリューム、、、県を跨げば、県民性も感じられます。


駅前特有の酔っ払ってしまっているお客さんも、中に入ってきちゃう小さなお子さんも、粗野なおじいちゃんも、グレちゃってる中高生も、言葉が通じない海外の人も、色んな人の前で行うことになりました。
早い段階で、近場とは言え色々なポイントでパフォーマンスを行ったおかげで、全てに対応出来るパフォーマンスが作られて行きました。

これが、数カ所しかやっていなければ、この後書きますが、大道芸の大きな大会で優勝する事はなかったと思います。
逆に言えば、今思えば、それくらい他のパフォーマーさんは特定の場所でしか行わず、色々な場所に行っていなかったのです。

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