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『ワクチンと若者』

 コロナが落ち着いて、あまり皆さんがギスギスしてないこの時期だから、一言書いておこうと思います。


 ちょうど医療関係者にワクチンが行き渡り始めた4月の終わりごろ、一人の元教え子から切迫した口調で、
「先生、ワクチン打たんどいてね」
と言われました。
 打つべきでないとする理由も聞きました。流言飛語の範疇を越えないものでしたが、一言引っ掛かった言葉があります。私が多少反論したことに対して、

じゃあ、10年後はどうなるか保証できる?

 この言葉です。返す言葉が見つかりませんでした。
 その頃、友達同士の伝播やらYouTubeやらでワクチンにまつわる奇々怪々な噂が蔓延していたのか、まだワクチンが低年齢までに及ばない時期は殆どの中学生、高校生、大学生が反ワクチンでした。何やかんやの自説の最後に乗っけてくるのは口を揃えて、

ワクチンの先に何があるのか分からない

というのです。

 私は8月にワクチンを二回摂取しました。摂取の動機は単純に病気への恐れであり、行動の不自由さを払拭したかったことにあります。非常に個人的な理由であるから打たない理屈をこねくり回す若者たちの純粋さに少しほだされたところもあり、ワクチンを打つ打たないに関しては、『個人の自由であり、打たない自由も尊重する』気持ちが大きくなっていきます。

 私は56歳、私の10年後は66歳。16歳の子の10年後は26歳。

 この差は歴然としてます。私ら世代の見る10年後と彼らの見る10年後は明らかに違うでしょう。彼らが10年後を危惧することの切実さは私たちとは全く違うのです。
 そう気付かされたのです。
 常日頃、「大人の視線で子供を見るな!」、と広言してる自分です。正直、ハッとさせられました。

 9月頃、ある親御さんから、「子供がワクチンを打たないって言ってるから打つように促して貰えないか」、と懇願されました。私はその子が反ワクチンだと知っていたので、懇願には応じず、「親子の会話で解決してください」、と言いました。またその際に、上述のような大人と子供の時間の観念の違いも説明しました。
 その後、当の本人と話をしたところ、「ワクチンのデマはよく知っていてワクチンそのものが怖いわけじゃない」、と言います。「何がダメなのか?」と本人に尋ねると、本人曰く、

 「他人に迷惑をかけるから、って言われるのが嫌!

 単純に自分の身のことを心配して勧めてくれるならその気にもなるが、最初から他人の為って言われることに反発が起こるらしいです。
 親の言葉には、発した側の本意じゃないところを子供が掘り下げてしまうことが頻繁に起こります。親と子との言葉の齟齬はワクチン問題とは全く関係なく起こることです。
 また、子供は大人の正当性に対して非常に懐疑的なスタンスを持ってます。親が右と言えば左を向くという単純な反発のみならず、純粋故に真理を見極めようとするところがあり、大人が正しいと言うことに対して、
 それは大人個人の思い込みではないのか?
 大人が自己保身の為の正当化ではないのか?
こうした思いを抱きがちなのです。
 ワクチンへの反発も、親や大人に対する懐疑が先立つものと考えた方が良いでしょう。

 ここで厄介なのは、ワクチンを受容する側が持つ反ワクチン者に対するイメージです。SFチックな思考をするゲテモノ扱いは論外ですが、
反ワクチン=反社会』、
この図式で見てしまいがちなので、どうしてもあちら側とこちら側のように線を引いて見てしまうのです。知らぬうちに反ワクチンである自分の子供を弾いてしまうのです。これに関しては、ワクチンの存在無くしては起こらなかったことだと思います。かつての学生運動の時代を想起させられます。
 そもそも、大なり小なりの反社会性というのは子供にはあり、思春期に頂点を迎えその後徐々に社会性を身に付けていくものです。最近の子供は以前に比べて大人しくなったと言われますが、それは不良が少なくなっただけで精神成長はむしろ遅くなってるような実感があります。若者に見る反ワクチンは、決して思想的偏向の反社会性ではなく、反社会性が暴力性を孕むものでもありません。私はそう捉えています。
 こうして考えれば、世の中の反ワクチンそのものも、忌み嫌われる程のものであるのか些か疑問です。
 もちろん、他人に迷惑をかけるという視点は外せません。ただ、「迷惑をかける」と頭ごなしに言われることへの反発を想像して貰いたいということです。コロナに罹患することがどうのように他人に迷惑をかけるのか?、それを相手に具体的なイメージを持たせてあげることが大切なことですし、それと同時に、この作業をすることでワクチンにまつわる社会的な問題提起が理解できると思います。
 私は私生活の中でもこうしたエピソードを他人と話すことがありました。実は、こうした会話の中で反ワクチン者に対する手厳しい言葉を並び聞くことが多いのです。そういう話者にとって、『他人の迷惑=絶対悪』なのです。こうした方々の倫理性や正義感は非常に高いことを付け加えておきますが、反ワクチン者は潜在的なコロナ患者に過ぎないだけなのです。人間はあらゆる意味で潜在的な○○であり、一般的にはその潜在性が断罪されることはありません。

 遠く離れて住む若者が、わざわざ「ワクチンを打つな」と声を掛けてくれる。我が身を案じてのことだと思えば、「馬鹿げたことを言うな」、と無下にはできません。いや、むしろ嬉しく思います。そこには思いやりがあるのです。
 若者たちの気持ちについて書いてきましたが、ワクチンを打たない選択をしてる人たちは世界中に多く居ます。少なくとも私は、ワクチンの裏にある人間個人個人の精神の自由に目を向けたいと思います。若者たちに教えられました。

 ちなみに10月末の現段階では、見たところ多くの子供達がワクチン接種済みです。変わり身が早いのも若者の特性です。

#教育 #子育て #親子問題 #家庭教師 #ワクチン #コロナ


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