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『サッカー選手』霧嶋から『ただの』霧嶋へ

こんにちは。
もう2020年の終盤に差し掛かっているということが信じられない霧嶋です。
久しぶりにしっかり考えてアウトプットしたい思います。
今回のテーマとしては、
『サッカーをやめる選択をして』
についてです。
よければご覧あれ。

18年続けてきたサッカー

僕は物心がついた時からサッカーをして来ました。
正直年数は確実なものではないですが、18年という何かキリの良さそうな年数にしておきます。(適当)
始めたきっかけは、テンプレートのような理由
兄がサッカーをやっていたから
自分の意思ではあまりなかったように思います。
事実、友達と遊ぶときは野球の方が多かったですから。

そこから18年いろんなことがありましたが、
家族、友人の支えもありサッカーという一つのスポーツを続けさせてもらいました。

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当たり前だと思っていた“続けるという選択"

22歳の年度になった今、(2月生まれなので21歳ですが)こんなことを言われることがここ数年多かったです。

1つのことを続けられてすごいね

色んな人に言われました。友人やバイト先のおばちゃん、学校の先生など。

僕自身、この言葉にすごく違和感がありました。
僕をサッカーの世界に引き込んでくれた兄も大学までサッカーを続け、周りの環境的には、ここまで続けることが当たり前だったからです。
(すごい贅沢なことだとは大学になってわかりました。)

このことからわかるように強い意志を持ってサッカーを続けるという選択は人生で一度もしたことがありませんでした。
やめられるタイミングはいくらでもあったように思います。
小⇨中中⇨高高⇨大と節目だけでも3回はありました。
そこでも自分は勝手に当たり前だと思っていて続ける選択肢を掴んでいました。
完全に思考停止していたと思います。

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“本気のサッカー”をやめる

そして現在、僕はあと1ヶ月もせずに“本気”のサッカーを引退します。
僕自身初めての選択であり、ドキドキとワクワクが混合している状態です。
当たり前のようにあったサッカー選手という肩書きがなくなるのです。
もちろん、社会人になってもサッカーをするという選択はできたかもしれません。
しかし、将来のことを考え天秤にかけた時に
続けるという選択はできませんでした。
完全にビビっちゃいました
サッカーというスポーツにおんぶにだっこしてもらっていた状態からある意味自立しなければならないと思っています。

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『サッカー選手』霧嶋から『ただの』霧嶋へ

これまではサッカーを続けているだけで褒められてきた人生でした。
しかしこれからは社会人として、そんなの関係ない状況になってしまいます。
しかし、ここまでサッカーをしてきた中での経験値はたくさんあります。
この一年はその経験値を貯めに貯めようと頑張ってきた1年でもあり、体育会に入っているからこそできることを自分の中で考えてやってきました。
肩書きのない状況から始まるこれからの人生。
これまでの経験をどこまで出せるかによって、『サッカー選手』であった過去が素晴らしい過去として胸を張れる気がします。

肩書きがなくなった時、『霧嶋』の価値が最もわかります。
輝くためにも今をしっかり生きようと思います。

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