見出し画像

成長の証

私は大学生になって3年が経った。4月から4年生となり、学生生活最後の1年となっている。ここに来て、自分に質問を投げかけた。

「大学生活で成長したのか?」

この質問に対し、明確な答えを出すことが出来なかった。結論、成長したと胸を張って言えなかったのだ。これは競技的の成長ではなく、人間的な成長だ。やってはいけないことをやらないなどの道徳的なものは小中学生のうちに、目上の人との関わり方などの礼儀などは高校生のうちに成長出来た。ここは胸を張って言えるし、今になっても継続的に行えている。しかし、大学生になってからはどうだろう。現状でやり過ごせている感がすごいある。人間的に“変わっていない”。それがいいことなのかもしれない。変な遊びを覚えて、人間的に崩壊してしまう場合もあるので。しかし、確実に前には進んでいない気がする。

その理由はなんなのか。私は、新しいことに挑戦していないからではないのか?と考える。これまで、新しい環境に行くとその場所のルールや、規則を守っていく中で自然と成長出来た。部活を始め、高校時代が人生の中でルールが1番厳しいところだった。しかし、大学生になると自主性が求められる。何かを与えられることはなく、自分で行動することが求められる。この頃多く耳にする“主体性”が必要なのだ。これまで与えられてしか来なかった人間がこの状況になると、現状維持が精一杯となってしまう。意図的に成長しようと考えないと、退化してしまう恐れがあるということだ。

画像1

高いお金を払って大学生になった以上、価値を見出していかなければならない。それじゃなければ、すごく“”になってしまう。“初任給が違うから”とか、“スポーツをするために入った”とか、そういうことで入るのはすごくもったいない気がする。今、私はもったいないなと自分自身で思っている。

しかし、後ろを向いている暇はない。ポジティブに考えるならば、あと1年あるのだ。学生生活、つまり人生で1番時間がある時期にしなければならないことしておけば良いことをする時間がすごくあるのだ。成長のチャンスへの道がそこらじゅうに広がっている。そこへ一歩踏み出すことによって、ふと学生生活は有意義だったと感じることが出来るだろう。

画像2

茶化されるかもしれない、バカにされるかもしれない、しかしそんなものは関係ない。言ってくる人間が自分を助けてくれることは絶対にないのだ。ならば人の目を気にするのはすごく無駄だ。何か行動しよう。それが出来れば、それこそが”成長”となるだろう。そして、評価してくれる人、ついてきてくれる人が現れるだろう。

私はまだまだ足りない。もっと経験値を増やして、レベルアップしていかなければ。人生という長い道のりで選択肢を増やしていくために。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?