まだ会ったことがないのに、また会いたい友人の話

今朝、とんでもない記事を読んだ。いてもたってもいられなくなり、仕事を終わらせてすぐこのnoteを書いている。

友人の三浦希さん(@miuranozomu)が、自分自身のことと自身にまつわる洋服のことについて語ったインタビュー記事。

はじめは、感想を付けてツイートしようと思ったのだが、とてもじゃないが140字なんかに収まりそうもなかった。

正直、この記事が素晴らしすぎるので、わたしが書くべきことなんてひとつもないと思うのだけれど。どうしようもなく書きたくなってしまったから、勝手に書きます。ご容赦ください。

公開ラブレターみたいなもんです。恋文は寝かせろって教わりましたが無視します。一気呵成にってやつです。

一度も会ったことのない友人

最初に断っておくと、わたしは三浦さんにお会いしたことはない。今年の5月に一度だけ、いわゆるオンライン飲み会で交流したものの、直接はない。

それどころか、仲良くさせてもらっているのもここ1年ほど。

オンラインで初めて話す三浦さんは、思ったより声が高いなあとか、思った通り核心を突いてくるなあとか、そんなことを考えていた。

わたしは3年前から、とある記事をきっかけに一方的に存在を知っていたので、まさか今こうやって友人と呼び合う仲になっているなんて、という気持ちもある。

社会人なりたてのわたしにとって、ここに綴られている三浦さんは、心底格好良かった。

今改めて口に出すととても陳腐だけれど、「自分を持っている人」だというのが、文字から伝わってきた。こんなパンチのある人がいるのかと驚いて、でも絶対に面白くて良い人だよなあ、素敵だなあと思ったことを覚えている。

だから、今は友人なのだけれど、どこか有名人のような、憧れの人のような気持ちも拭いきれない。

で、改めて今朝、冒頭の記事を読んで。

読みながら、「三浦さん、こういうこと言うタイプだよな」とか「このエピソード、前もどこかで聞いたことあるから、それだけ大切なんだろうな」とか、彼はこう答えるよな、と思うことばかりだった。

3年前に知った時から、変わっていない。

彼を思い出す服が、わたしのクローゼットにある

「さっき『大事な人にそばにいてほしい』って言ったけど、それとは逆に自分のことをそばに置いてほしいって気持ちも強いのかもしれない。俺が服をあげるとか、似合いそうな服を勧めるとか。その人の生活の中のどこかで、俺のことを思い出して欲しいのかも」

三浦さんは定期的に、「#服屋三浦」とタグ付けして、洋服やスニーカー、アクセサリーなんかを誰かに勧めている。

ファッション的に似合うとかイケてるとかそういうことではなくて、その人の価値観とか、振る舞いとか、信条とかいった内側に潜むものを服飾の文脈に乗せて、愉快に提案している。

それが先日、わたしの元にも来た。

嬉しくてすぐに注文した。「清廉潔白」に乗った「等身大な人間臭さ」だってよ、と思いながら。

届いてみて最初は「ちょっとわたしが着るには身幅も大きすぎるし、難しいかもしれないな…」と思ってしまったのが正直なところ。

けれど、わたしのことを思いながら勧めてくれたことが嬉しかったのと、「服はデカければデカいほど良い」みたいなことをどこかで言っていた三浦さんそのものみたいな服だなと思ったので、気づけば大切な一着になった。一人ファッションショーもした。

お生憎様、季節は秋に片足を突っ込んでいたので、こいつを満足に着ていくのは来年になりそうだ。けれど、彼のことを思い出す一着がわたしのクローゼットに収められたことが、とても嬉しい。

「お久しぶりですね」

今年中には、どうにか? やっと? 念願叶って? 接頭語はわからないけれど、三浦さんにお会いできそうだ。

きっとその時には「お久しぶりですね」と言うのだと思う。

オンラインで会ったから、なんてそんな野暮な理由じゃなくて。

まだ会ったことが無いのに、また会いたい。

そんな不思議な人だ。

***

「でも、自己紹介するより、よっぽどその人のことが分かる気がした。友達のことを話すことで、結果的に自分がかたどられるというか」

だから、このnoteを書こうと思った。

サポートをいただいたら、本屋さんへ行こうと思います。