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尾崎豊がオーディションに落ち、そして糖尿病になっていたなら(仮)

前回、尾崎豊のことを書いてしまったせいか、この1週間(と言っても帰りのクルマの中でとかだけど)久しぶりに尾崎のことを考え続けてしまった。

『十七歳の地図』より

『回帰線』より

ファーストとセカンドの2枚、
これは掛け値なしの名作、名盤だと思う。
(あとは声がもの凄くいいんだよね)

でも尾崎豊って、やはりオーバープロデュースだったんじゃないかなぁ。とまでは言えないかもだけど、最初の2枚のアルバムが良すぎたせいで(ヴィジュアルとかのイメージ戦略も含めて)想定以上に上手く行ってしまい、過大評価(あるいは誤解)されてしまった面が大きいと言わざるを得ない。

昨日の帰り、かなり久々に3枚目を聴いてみたんだけども(向き合いかたは発売当時以来な感じで)やはりこれは10代のうちに3枚という「早すぎる伝説」を作ろうとした強引さが端々に見てとれる、見切り発車感アリアリのコラージュ作品だ(そんなに出てくるものなんてないのに。次々と出てくるタイプの人じゃないって、すでにわかってると思うのに。でも最早あの勢いを、誰も止められるわけがない)

音楽ってヤバイ。プロが用意するオプションとしてのフォーマット(これは疾走感のあるこんな感じ、○○風で…みたいな)と、尾崎のパーソナリティや時代性、ストリート感なんかがマッチして、良くできてるのも随所にあるからこそ、そう思う。尾崎の場合、音楽のヤバさってものに思い至るしかない(そもそも尾崎って、それほど音楽の人じゃない)つまりロックミュージックの伝播力によって、そしてそれが反射されたものがセルフイメージとなって返ってきて、謂わばそれに殺された(ただでさえ狂った自爆性に満ちていたのに)この歳になって、尚更そう思う(まだ二十歳そこそこの尾崎自身が、そのことに自覚的であれるわけがないのは、歳を重ねた者が振り返れば誰でも思い当たるだろう。そういうことも含めて)

尾崎を世に出した人たち、作品を一緒に創り上げたミュージシャンたちって、本当のところどう思ってるんだろう。存命中はまだ、ミュージシャン達による、音楽的に良くも悪くも公平な評価があったように思う。しかし残念ながら亡くなってしまってからは、この稀有な才能に関われて光栄…みたいな誰を褒めてんだかっていうような、後追いで世間が作り上げていったイメージに寄せていくような評価が目立つようになった。そこはむしろ、このアイデアが功を奏してとか、実は俺(の方が)が偉かったんだとかって、作品論や技術論として語るなど、正直に言うべきだと思う。もちろん無理に落とす必要はないわけで。

そもそも尾崎豊がオーディションに受からなかったとしたら、どうなってたんだろうと考える。その方がしあわせだったのでは?という言ってはいけないことを言ってみたくなる(歌うまでもなく『この支配から卒業』して普通のお父さんに、あるいは中小企業の親方かなんかになって…どっちにしろ破滅してたかも分かんないけども)

あるいは歌手だったとしても、それこそ岸田智史や村下孝蔵(は死んじゃったけど)みたく昭和の一発屋的な名歌手で終わればよかったのかもしれない、よ。

尾崎豊は覚醒剤で?ブクブク太ったことがあるけれど、一般人のまま、炭水化物を摂りすぎて、糖尿病のオヤジになればよかったんだ。何故なら治るから(byオレ)

これは悪口なんかじゃなくって、尾崎豊と出会ってしまって、尾崎ワナビーだった自分が何で死ななきゃならなかったんだろうってずっと考えてきたことなんだ(今さらワナビー使えた😂)

もちろん、存在は(間違いなく)バカでかいけれど、死んでしまっては何にもならないじゃないですか。

1985年の夏、3枚目が出る直前の、ちょうどその頃ってわたしは、短大の夜間部に通い出した年で、日中は、その15年くらい後に『○○○食堂』でブレイクすることになるヘルスメーター工場で、アルバイトしていた。

塗装する工程(その中で密室で作業する係は乾かすシンナーで頭がおかしくなるというウワサだった)に流れていくラインのハンガーみたいのに、ヘルスメーター(のカバー?)をひたすら引っ掛けていく作業をしながら頭の中では自分がオザキになってステージで歌って、単調な時間をやり過ごしていた。

マジでわたしは、尾崎豊になりたかったボーイだったんだ(その後のあの、代々木でのライブ『笑いたいやつは笑え(までは良いとしても)信じるやつは俺について来い!』にアレ?となるまでは…)

今年の夏から職場の配置換えで出会ったTKさんという方が同じ大学の文学部出身と知り、いろいろと話をするようになって、たとえば高野悦子(二十歳の原点)なんて名前に反応してくれたりしてサイコーなんだけれども、ネットで高野悦子さんをマニアックに研究してる方がいたなぁ…とかそれで思い出したりしてこれも久しぶりに見てみたら、高野悦子さんのお母様が昨年(2022年)亡くなったらしいことが書かれていて、つまり昨年まではご存命だったんだ!と知れたりとか、高野悦子ファンとしては嬉しいし、とってもありがたいんだけど、一方で未解決事件でもないんだしなぁというようなやり過ぎ感?というか、パラノイアックな感じ(違和感)も正直してしまう。ネットの研究。

高野悦子さんの場合は亡くなってから発見されて世に出たわけだから、このことがご本人の人生に直接影響を与えたわけではないけれども(どういう経緯だったのかは知らなかった。調べてみよう。ネットの研究で😂)

尾崎豊、高野悦子さん、
要するに、あえて言うと、どちらも、

そんなか?

先述のTKさん、筒井康隆マニアでもあって、わたしは何故か(何故かじゃないな、偏差値が低いからだな)筒井康隆さんて昔から読めなくって、でも本に関しては常にマイブーマーなので最近の筒井ブームはこのTKさん(と大森靖子ファン仲間の名前はさんも)の影響なんだけれども、それでTKさんの『筒井論』を拝見したんだけれども…そのレベルの高いことと言ったら!(こうして書いてる自分のクソ文がマジ恥ずかしくなるわ😂)

早熟の天才とか夭逝の悲劇とか、
伝説のヒーローや青春のアイコンとか…
そうして祭り上げることによる、
社会的な機能みたいなものがある。

普通の人の、無数の才能を埋もれさす。

だからよいのかもしれないし、
だからよくないのかもしれない。

生き残った者は脳を切り替えて働いて、
安ウイスキー、いや僅かに高いウイスキーで
YouTube 観てゲームして寝て、また働く。

それでもやっぱり生き残った者の勝ちだ。

「生きていてよかった~♪」に、なぜこれほどまでに、感動してしまうのかってことだ。


劣等生だから、ワルも否定しないんだ。
だけどそれには良識がしっかりしてないと。

なんだかんだ言って新聞が「大人=良識」じゃないですか。その意味で新聞は衰退しちゃいけない。「新聞的なるもの」でもいいや。
今や新聞も自分より若い人たちが作っている(と言っていいのかなぁ?)新聞的なるものに期待したいし、わたしもそうありたい。

木曜日の朝の、森本毅郎スタンバイ!で聴いたんだけど…

産経新聞の『健康診断は自分の体を知る機会』というのを紹介していて。

経年変化に兆候も

そして何より、指摘を放置せず、基準値を外れた項目があれば医療機関を受診することが肝心だ。亀山さんは「数値も大事だが、より重要なのは経年変化を確認すること」と指摘。基準値内でも、上がらない方がいい数値が少しずつ上がっていたり、下がらない方がいい数値が下落傾向にあれば、要注意だという。

「健診は見落とさないことを重視しており、問題ない人まで拾うことは少なくない。それでも、今の状態を把握することが将来の病気の予防につながるので、医療機関受診や生活習慣見直しのきっかけに健診を活用して」と呼びかけた。

わたしが言いたいことだった。

そういえば健康の番組やってる生島ヒロシさん、コロナで食っちゃ寝の生活で、自分史上一番、お腹タプタプ状態というんだけど…生島さんそんなだったのか!信じられない(あの頃のライザップはなんだったんだ?ってな)

今日は月イチの検査日だったんだけど(血圧 118 に 80 メモ😂)血糖値をはかるキットが工場の出荷待ち?とかで、無いと。信じられない~(のリプライズ!)

会社人生は気休めの連続。なので打破。

以上が今週のクソ文、でした。

今週も読んでくださり、
ありがとうございます!

寒い~。
ついに外気が冷たくなってきましたね。
体調を崩しやすくなりますので、
皆様くれぐれも気をつけてください。

これから大森靖子さんとこの、
新生ZOCのライブですよ!
みんな観てね♪




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