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うまくいかなかったと思っていたことがそうではなかった話し

先日、知り合いの腰痛の治療をしたがビミョーな感じでその場は終了した。ビミョーというのはどんな感じかというととにかくビミョーなのである。このビミョーな感じは寒々とした空気感に包まれているような気持ちになる。

どちらかというと勝手にそういう判断を下してしまっているのかもしれない。

狙ったところへの効果をその都度確認してお互いの認識を合わせていく作業をする。そこが知り合いということもあり、変な遠慮が発生してしまうのだ。

気を使わせてしまっているというか、効果の有無を良い方に言わせてしまってしまっているのではないか?という不安感が未だに拭えない。

未熟さがあぶりだされる。

何でも言いやすい空気感を作ることが重要だと痛感し、それが効果を左右することも充分にありえるのだ。

その場合の空気感を作り出しているのは、わたしでもあり、受け手でもある患者でもある。2人の間を行き交う言葉や所作などを通して一緒に過ごしている空間の雰囲気が形成されていく。主体はわたし、そして、あなた(患者)でもある。わたしの働きかけで状況が動く。

施術の変化は確認できたものの、本人の満足度まではわからない。後に、ひと伝いに確認ができ及第点と言ったところか。

うまくいかなかったと思い込んでいたがそうでもなかったというケースがたまにある。同じものを見ていても立場や見方で全然違う印象になる。

施術が終わったあとは知らない、わからない世界。

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