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佐賀県の「水と文化」

ごきげんよう。

本日は「水と文化」について書きたいと思う。

タイトルにある「水と文化」に「佐賀県」を付け足したのには理由がある。
それは、単純に私の「地元」ということと、「水と文化」を考える上で重要な場所であるからだ。
 
本題に入る前に、これから、たくさんの地名が出てくるので、「佐賀県」の地理を確認しておく。「佐賀県」は北部(日本海側)に「玄海灘」、南部(熊本方面)に「有明海」と海に囲まれており、それに伴うように多くの河川がある。また、東部(福岡方面)から順番に、基山町・鳥栖市・みやき町・神埼市・佐賀市・小城市・多久市・江北町・大町町・白石町・武雄市・嬉野市・鹿島市・太良町・有田町・伊万里市・唐津市・玄海町と西部(長崎方面)まで広がっている。
 
ここでは、「水と文化」の「水」は「川・海」を、「文化」は「食・治水事業・信仰」を前提に述べていこうと思う。
 
「食」という文化が生まれるには豊かな食べ物が必要である。そして、それを生み出しているのが、「水」であり、「川・海」である。佐賀平野は筑後川(佐賀市)・嘉瀬川(佐賀市)・牛津川(小城市)・六角川(白石町)に面しており、古くから水田耕作地としての役割を果たしてきた。有明海ではノリの養殖が行われ、ムツゴロウやワラスボなどの漁業も行われてきた。祗園川(小城市)は、ホタルの宝庫と言われるぐらい水が綺麗で鯉の養殖、酒造や羊羹作りが行われてきた。
 
「川・海」は「食」を豊かにするだけではない。時には、災害の被害を受けることがある。そこで、「治水事業」が始まる。千栗土居(みやき町)は千栗八幡宮(同)の1㎞ほど南に位置し、佐賀・鍋島藩の治水事業の第一人者である成富茂安が(1624~44年)に筑後川(佐賀市)に築造した堤防である。その工事は12年間におよび、約12㎞に達する大規模なものであった。また、嘉瀬川(佐賀市)と多布施川(佐賀市)の分岐点には水路調節をし、佐賀城下町や農地に水を供給すると共に、水害防止機能もあわせもっていた「石井樋」が建設された。

 しかし、どんなに強力な「治水事業」を行っても、災害には対応できないこともある。そこで人々は「信仰」を始めるのだ。
佐賀平野を貫流する嘉瀬川流域に淀姫をまつる古社が分布し、白石平野を潤す塩田川流域にミズハノメを祀る七丹生の社がある。これらは、すべて『肥前風土記』に記されており、その信仰の古くして深いことを物語っている。
 
佐賀県の水の信仰とは、川や海に神を祀って祈ることを意味するが、例として、「川神祭り」がある。それは、水濠が縦横にめぐる平野部に「水神」という神を祀り、五月に堀に臨む家々の庭先で、わらで編んだ小舟に供え物をして水上に浮かべる。わら舟に立てた紙旗には鯰の絵が描かれており、佐賀県において鯰は神聖な生き物であることが分かる。

近代上水道の敷設以前は佐賀市をはじめ近傍の村々では川や堀の水を飲料にしたので、「水神」は生活そのものをつかさどるという実感があった。その一面、水濠に囲まれた部落では水はまた根元でもあって、幼児の水難事故に対する恐怖が深刻で、川神祭りには水難防除を祈る意味もあった。水難をまぬがれるための宮参りの風習では、佐賀市川副町東南里や同市久保田町中副には「ヒャアランサン」という神社があって祭日には子ども連れの参詣客がおこもりをする。嬉野市塩田町では「水神」の夏祭りが七月九日に営まれ、常在寺の僧が水神に般若経をあげて祈禱し、水難除けの守り札を配ったという。
 
佐賀平野の北を限る背振山地の嶺々には、古来水分の性格の神々が鎮座する。その一峰の金立山(佐賀市)は水神鎮座の山と仰がれ、渇水期には参詣者が多く、かんぼつともなれば浮立をしたてて、雨乞い参でにぎわう。それでも降雨がないと神輿が有明海に出る「沖幸臨」が行われる。その他、背振山(神埼市)や天山(小城市)で行われた雨乞いや有明海上に船詣する「オシマサン参り」がある。
 
南方の有明海沿岸と西北方の伊万里湾沿岸では古来干拓が行われ、独特の風土を形成している。干拓地には海潮の侵入による災害を防ぐために海神をまつる信仰が流布し、竜王・海童と名付けたり、オンガミ(御髪)さんと唱える神社が多い。例えば、佐賀市川副町南川副には干拓地ごとに石の「コクラサン」という八大竜王をまつる石碑があり、それぞれに祭田がついており、これを部落で共有して順番に耕作して順番に耕作して年一度の祭りをし、酒宴を開く習慣が戦後の農地改革まで続いた。
 
海神信仰は有明海や伊万里湾沿岸に濃厚なことはもちろんだが、さらに奥地にまでも及んでおり、背振山北麓の山村小川内(神埼市東背振町)にも海童社(ハッチュウサン)があり、毎年12月25日の例祭のほかに、干ばつの際には部落の人々がおこもりをして雨乞いをしている。
 
このように「佐賀県」には「水と文化」を考える上で大切な「食・治水事業・信仰」が、たくさん詰まっているのである。

参考文献は以下の通りである。

市場直次郎 『日本の民俗 佐賀』 (第一法規出版社 1975年)
城島正祥・杉谷昭 『佐賀県の歴史』 (山川出版社 1975年)
佐賀県高等学校地歴・公民部歴史部会 『佐賀県の歴史散歩』 (山川出版社 2012年)

本日も最後までお付き合い頂き、誠にありがとう。

ごきげんよう。

さようなら。

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