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大別府公園計画

ごきげんよう。

本日は私が大学で提出したとあるレポートである。

私が選んだ資料は『大別府公園計画』(1937年)である。この資料を選んだ動機は、昭和12年(1937)国際温泉観光大博覧会の舞台となった別府が国際(現代)都市として全盛期を迎えるにあたり、別府公園を中心にどのような都市計画を行うのかが明確に書かれており、別府で起業し、地元の方々や郷土史研究家の方々と連携してアーカイブズの事業や展覧会を行っている私にとって、とても興味が持てる資料だからだ。
別府公園は明治40年(1907)に完成され、温泉神社・温泉場・休憩所等が設けられ、大正に入ってから料理店用の亭屋・泉水・噴水・グラウンドなどが設置された。昭和3年(1928)は中外産業博覧会の会場となり、昭和4年(1929)に公園の東側に大分県殖産館が建設され、昭和6年(1931)には別府球場が着工された。昭和12年(1937)に別府国際温泉観光大博覧会の主会場となった。昭和21年(1946)~昭和32年(1957)までは米軍基地として使用された。日本返還後、陸上自衛隊別府駐屯地として使用され、昭和51年(1976)に別府市に返還され、現在の別府公園に至る。
この資料は昭和12年(1937)に京都大学の関口鉄太郎教授が別府市の依頼により編集した別府公園の計画書である。前述にもあるように、この年は別府国際温泉観光大博覧会の主会場として別府公園が使用された年であり、別府市は博覧会と並行して、別府公園の今後の計画や扱いを考えていたとされる。
資料の内容は、現代都市に於ける公園の使命、現代都市の公園計画、大別府の公園計画の3章で構成されており、第1章では、保健・衛生、体育運動、教化訓育、防災保安、観光経済などを兼ね備えた現代的な公園を目指すことが具体的に書かれている。第2章では、児童公園、近隣運動公園、近隣普通公園、自然公園、道路公園、動物園、植物園、運動場及び競技場、ゴルフ場など、公園の形態について詳細に書かれている。第3章では公園の敷地内だけではなく、道路整備や全体的な緑地計画が記されているため、当時の公園状況、道路事情、公共施設事情なども理解できる。
この資料から考えられることとして、温泉だけではなく、丘陵、渓谷、森林、原野、湖水、河川等、多種多様な景観を利用し、公園を中心とした都市計画を行いたい、という意図が見て取れる。また、満州事変とその前後における不況を受け、戦争も激化していく時代にも関わらず、大きな都市計画を行い、国際(現代)都市を目指したからこそ、今の観光地としての別府市に繋がっていると考える。そして、私はこれからも国際(現代)都市として発展していく別府市の未来をアーカイブズ的な視点から創っていきたいと本気で思う。
                      
参考文献
・別府歴史資料デジタルアーカイブhttp://www.beppu.biz/index.htm
・別府市教育委員会『別府市誌』(1973年、別府市役所)
・松田法子『絵葉書の別府』(2017年、左右社)
・下川正晴『占領と引揚げの肖像・BEPPU 1945-1956』(2020年、弦書房)

本日も最後までお付き合い頂き、誠にありがとう。

ごきげんよう。

さようなら。

お世話になっている方々へ
いつもお世話になっております!
全ての活動を通して、私はいろんな方々に支えられており、応援して頂いているということを実感しております!
本当にありがとうございます!
これからも、ご縁を大切にし、感謝の心を忘れずに邁進していきますので、何卒よろしくお願いいたします!

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