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タイでウェブメディアを作って10年かけて失敗した話

タイで作ったウェブマガジンANNGLE

タイ人向けの日本情報ウェブマガジンANNGLE(アングル)は僕が2010年にドメインを取得し、約10年間継続してきました。このメディアはタイ語版と日本語版で構成されていて、日本語版は日本人向けのタイ情報、タイ語版はタイ人向けの日本情報という形で運営していました。

2013年頃のタイ語版ANNGLE
2012年頃の日本語版ANNGLE

立ち上げ当初は僕自身運営に関する知識や技術が足りていなかったこともあって運営サポートをしてくれる会社やパートナーが何度か入れ替わりましたが、長年継続していく中で現地のソーシャルニュースメディアやポータルサイトとも提携したりオンラインメディアとしてそれなりの位置に立つことができました。※とくにタイ語版は以前からのタイでの日本人気が反響はすごかった。

ウェブマガジンを作ったきっかけ

日本語と並列してタイ語メディアを立ち上げた理由はタイにもっと深い日本情報を届けるため。そして、タイの日本語人材ができる仕事を増やすことでした。きっかけは2008年頃に某有名大学で日本語を習得し日系企業に就職したタイ人女性が夜遊び好きの日本人上司に毎晩連れ回され売春婦との通訳として使われいたのを見てしまったこと。そのような悲惨な状況を見て翻訳者や通訳者がリモートで働ける環境を作りたいと思いました。

ウェブマガジンとしての大きな変化

さまざまな日本語人材にや企業にお世話になりながら地道にサイトの更新を続けていた中で転機が訪れたのはタイ人への日本渡航ビザが解禁されたときでした。数年貯め込んでいたたくさんの記事にそれまで日本に興味がなかった人までもが閲覧するようになり一時は大量のアクセスが殺到してサーバーがダウン。その時は一時帰国していたため宿泊先のホテルから必死になってバックアップと復旧作業を行いました。ウェブメディアはバズると嬉しいのですがそれに耐えられるサーバーを持たなければせっかくのアクセスも取りこぼすことになる。そんなことを経験しながら少しずつ運営に関する知識や技術を磨いていました。

読者のつながりと運営会社の設立

ウェブマガジンを本格的なビジネスとして運営することんになったのは2014年ころのことでした。日本で暮らすタイ人女性(S)が本国タイに本帰国することになり、これまでと違ったITノウハウをもった日本語人材になるとの話で僕はSととある案件を期に会社を設立。当初は本人の名前にちなんだ社名でしたが2016年頃に社名を「株式会社ANNGLE」に変更。ウェブマガジンの運営を中心にタイに関するマーケティングや市場調査などのさまざまなプロジェクトが本格的に始まりました。

コロナの直撃とタイ人女性Sの変化

インバウンドブームに拍車がかかり日本に来るタイ人観光客も増えて順調な運営を継続してたさなか新型コロナウィルスが世界を襲いました。それまで動いていた自治体や企業のプロジェクトもすべてがほぼ中止。4名ほどで運営していた会社の業績も大きく売上をさげて約2年間厳しい時間が続きましたが、メンバーに専属のエンジニアを追加してサーバーを日本からシンガポールに移すなど補強業務などを行いながらコロナ後の状況も見据えて運営を継続しました。

その中で社長を務めていたタイ人女性Sから「ANNNGLEを私に売却してほしい」との声が上がりました。突然の話で僕自身はいったい何が起きたのか分からなくなりましたが、優秀な日本語人材が集まったことから運営において日本人がカバーする必要性がなくなったんだと思い、少し複雑な気持ちでしたが一時帰国をしてメディア売却に向けて準備をはじめました。

日本語を流暢に扱うタイ人女性Sの感覚

約10年間継続していたこともあり気づけばタイ国内でも日本情報メディアとしては上位にランクインしていたANNGLE。

立ち上げ当初から僕を知るタイの知人や日本のIT関係者からは、これまでの受けた案件なども考えたら最低1000万円は提示できるとアドバイスをいただきました。でも、僕が考えたブランド名が今後も継続されるのであれば半分近くでも気持ちよく引退できると思い最終的にブランド料や当時のアクセス数なども含めて600万円を提示しました。

それから数日後、そのタイ人女性Sから「これまでコンテンツにお金を払ってきたのは会社であり最終希望額は100万円でお願いしたい。」と信じがたい返信が届きました。その内容に対して「コンテンツにかかった費用ではなく、あくまでもメディアブランドと現在のアクセス数を考慮していただきたい」と返信を送りましたが「それは払えない」とのことで連絡がしばらく途絶えました。

コンテンツデータのコピーが発覚

想定外な展開で不安になりメディア自体を守ろうと思って久しぶりに管理ページにアクセスしました。そうすると設定していた管理ページへのパスワードがなぜか弾かれてしまいました。管理ページへの管理者権限を与えていたのは、そのタイ人女性Sのみだったため「パスワードが変わっててアクセスができない」と連絡をとると「変えていないけど必要ならパスワードを再設定するよ(本人以外あり得ない)」との返答。一瞬疑いを持ちましたが冷静になって再度パスワードを設定するようにお願いしました。

その後、実際に管理ページに入っていみるとアクセス数が大きく下がっており、さらにデータベースに再接続するようなエラーが表示されるようになっていました。完全にデータ移行を試みていると気づいた僕は再度「交渉途中でデータをコピーするのはさすがにまずくないですか?」とメッセージを送りましたが、今度は「納得が行かなければ以降は弁護士を通じて話してほしい」との返答。本人は売却の交渉がもつれたため以前にチームに追加したエンジニア指示をだしコンテンツデータを新しいサーバーに移動させていました。

データーをコピーされたあとのアクセス数
データー接続不可

社名もメディアの名前に変更し、あらゆる業務は信用のもとで成り立っていると過信していた僕はその時点で一千も払われずにメディア自体を盗まれたことに気づきました。冷静になり時系列を追って考えるとサーバーをシンガポールに移転した時点で管理は僕の手元を離れており、まったくコントロールができない状況になっていた。完全に自分自身の管理力のなさが作ったトラブルでした。

約20年間のタイで学んだこと

あまりにも厳しい状況に置かれた僕は法的処置も考えましたが起きているのはタイ国内の問題であり、この手のケースは一日本人が訴えたからといって勝てる見込みはほぼありません。

過去に日本人がなし得なかったタイでのタイ語メディアの運営を考えると非常に複雑な思いはありますが、現地採用の時代から約20年間タイで生活した僕は仏教の教えに習ってすべてを許すことが最善の方法だと思いました。タイでビジネスをする方にはいくら日本語が流暢な日本語人材がいても消して過信してはいけないということが伝われば幸いです。

今後はタイで経験したことを活かし日本のためになるようなサービスを考えたいと思います。

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