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[ちょっとしたエッセイ] 世界はなんでもいいであふれてる

「今日なんにする?」と聞くと、「なんでもいい」と言う。
「映画なに見る?」と聞かれると、「なんでもいい」と答える。
 日頃から、自分の周りで飛び交う会話の一部というか、すべてというか、大体のどうでもいい会話に蔓延る「なんでもいい」。昨日入った喫茶店でも、隣にいた若い女性がスマホを見ながら、目の前に座る彼の問いに、目も見ずに「なんでもいい」と答えていた。
 この「なんでもいい」は結構な意思表示なんじゃないかと思う。大概は「なんでもよくない」時が多い。それは自分にも当てはまる問題で、相手に期待してしまっているのかもしれない。よくよく考えれば、逆に消去法で「これはやだ」とか言えばいいものの、その会話の対象者に委ね、かつどこか相手への敬意を欠いてる場合に言いがちなのではないだろうか。だから、「なんでもいい」を言ってしまう関係性は、どこか馴れ合いのある関係性で、これは小さな綻びになりかねない。
 
 もう20年くらい前、新宿の歌舞伎町に仕事で通っていた時期があった。会社自体は普通の制作会社だったのだが、稀に歌舞伎町界隈のお仕事をしている方から、制作依頼があった。そのために、よく深夜の歌舞伎町の煌びやかなお店(の裏口)へ通った。担当のお兄さんは、結構ノリの良い人で、深夜の裏口で、客の残した(という)高そうなシャンパンをアサヒビールとプリントされたジョッキに入れて飲ませてくれた。もちろん担当といえども、その店のキャストであり、結構な確率で酔っていた。2人でタバコを吸いながら、お兄さん(多分年下だろうな)の日頃の愚痴を聞くという打ち合わせをした。
「なんか、制作ってかっこいいね」
「いや、かなり地味で日陰な仕事ですよ」
「そっちのお仕事の方が、夢与えててかっこいいじゃないですか」
「確かに! いいこと言うね〜」
「えへへへへ」
 そんな、最終的にお兄さんを持ち上げることで終わる打ち合わせを何度もしながら、納品の日を迎えた。これで最後っすねなんて話していたら、彼が、ちょっと待っててと言って、ネクタイを外して分厚い財布を持ってきた。
「よし、打ち上げ行こう! なに食べたい?」
 なんて急に聞かれたもんだから、思わず「なんでもいいっすよ」なんて答えてしまった。すると、みるみるお兄さんの顔が曇ってきて、いきなり胸ぐらを掴まれて、裏口の扉に押しつけられた。
「は? 俺はさ、あんたに食べたいもの聞いてんだよ。なんでもいいって答えじゃなくね?」
「え、あ、いや、はい」
 扉に押しつけられた音が、裏口が面した通りを歩く人たちに聞こえたようで、冷たい視線がいくつも飛んできた。そうだ、ここは歌舞伎町、修羅の街だ(言い過ぎ)。そして、少しちびりそうになって、なんとか「寿司が食べたいです」と、スラムダンクの三井寿ばりの半泣きの状態で伝えた。
「寿司! いきましょう!」
 次の瞬間、お兄さんは笑顔で、深夜の歌舞伎町を闊歩していた。結局高級寿司店に入ったものの、勧められた酒を煽り、そんな精神状態だったため、なにを食べたかなんてまったく覚えておらず、結局このお兄さんとの関係も、それで終わってしまった。深夜の歌舞伎町では、「なんでもいい」は結構事故に遭う。
 そして、その時から敬意を持った相手、ないし関係性によっては「なんでもいい」は使わなくなった。20代での大きな学びだったように思う。

 あれから20数年が経った。いまだに「なんでもいい」は使うし、あれ以降それで失敗した経験はないのだが、やはりあの時に歌舞伎町のお兄さんの言葉は覚えている。そして、この「なんでもいい」は結構な落とし穴であると同時に、よくよく考えて(良い方向に)、これって案外信頼の証なのかもしれないと最近思うようになった。だから、リスキーな言葉であるのだが、なかなかやめられない。

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