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[ちょっとしたエッセイ]香水のつけかた

 友人と、ある焼き鳥屋に入って、カウンターで近況を話していた。目の前の焼き台からもくもくと煙が出るのを見ながら、肉の焼ける音と香りに腹が減ってきた。レモンサワーをチビチビと飲みながら、鳥の焼ける匂いに、ほんのり酔っていた。すると、ややけたたましい声が入口の方から聞こえてきた。女性3人組が僕らの横に陣取る。
「まじ、部長ありえな〜い」
 なんていうありがちなOLの仕事帰りの会話が耳に入った。鳥の焼ける煙とともに彼女たちの身につけた香水の香りが混ざってやってきた。レモンサワーの柑橘と相まってなぜだか少々さわやかな気持ちなると同時に、なんだか食欲が減少してしまった。香りというのは、気分や気持ちも一変する力がある(結局焼き鳥は2〜3本食べたのだが)。

 普段から香水をつけるという習慣がある。出かける時はどうしても少しだけ香りをまといたいという気持ちが、いつの頃からか習慣化してしまっている。幼少の頃は、父親がいつも洗面台の前でネクタイを締めて、髪型をセットすると同時に、オーデコロンをつけていた。僕はあの独特な匂いが本当に苦手で、緑色の瓶に入った、あの黄色のようなオレンジのような液体を忌み嫌っていた。だから、大好きな父親であっても、やめてほしかった。一度「その匂いいやだ」と言ったことがある。父は笑いながらまた手に取って首筋やらに刷り込んでいた。
 匂いといえば、こんなこともあった。いつだったかネパール行きの飛行機で知り合ったスウェーデン人とトランジットのため降り立ったバングラデシュで1泊一緒の部屋で過ごすことになった。彼の脱いだ靴があまりに臭くて、さすがの本人もこれはまずいのかと思ったのか、アメニティのオーデコロン(少量パック)を4つ5つと靴の中にぶち込んでいく。
「ノープロブレム(笑顔)」
 翌朝、部屋の中はゲロの匂いがした。ノープロブレムじゃねーよ。会話もなく、二人で窓を全開にしタバコを吸った。

 高校生の頃、カルバンクラインがCK ONEという香水を発売し、それがカルチャー誌の広告を飾り、当時よく通っていた池袋のタワーレコードのレジ脇なんかにも、うっすらとした乳白色の瓶が並んでいた。『バウンス ko GALS』が封切られた1997年。僕は高校2年だった。友人たちは、こぞってそれ系の香水をつけ、街に繰り出す。一種の香水ブームがあった。でもみんなつけすぎでどうにも一緒にいるのが苦痛な時があった。特に高校時代は部活やらで汗の匂いと混ざる。これがまたきつかった。
 匂いは人を惹きつける。とは言ったものだ。あのクレオパトラは香りで多くの男を惹き寄せたらしい。これまで、どうしても匂いをまとうことが苦手だったのにも関わらず、今ではないと少しさみしい。別に誰かに好かれたいとかではないけれど、服と一緒で自分を飾るという意味では、匂いもまた装飾の一部になっているわけだ。そう自覚したのは、香水のつけ方を教えてもらった人が、憧れの人だったからだろう。

 当時住んでいた家の近所に、僕より10歳ほど年上のお姉さんが住んでいた。僕が小学生くらいから一緒に遊んでくれた絵に描いたような近所のお姉さんだ。ある日の部活の帰り道、仕事帰りのそのお姉さんと道でばったり出くわした。僕が手に持つジャージを掴むと、「香水つけすぎでしょ」と言って返した。僕は香水つけすぎの友人のジャージを間違って持って帰ってしまったことに気がつく。顔から火が出るような恥ずかしさが沸き起こった。すると、そのお姉さんは彼女の家の前まで僕をひきつれ、玄関まで案内してくれた。
 「ちょっと待ってて」と言って、彼女はヒールを脱いで階段を上がると、ものの数分で戻ってきた。
「あのね、香水っていうのはちょっと香るくらいでいいの。自分で自分の匂いがかげちゃうっていうのはつけすぎってことなの。わかる?」
 がーっと話し出すスーツ姿のお姉さんは、どこか先生のような威厳があった。手に持った香水ビンを見せると、「香水なんて手首の内側にこうやってワンプッシュ、多くてもツープッシュして、擦り合わせる」と、まるで手錠をかけられた容疑者のような素振りを見せる。
「あ、はい」
「それで、手首を首筋にこする」
「あ、はい」
「これで十分なのよ、わかった? 大人でもいるけど、つけすぎは最悪だから」
 そういうと、笑顔でペットボトルのコーラをくれた。夏の日の夜の話だ。結局そのジャージが他人のものとは言えずに今に至る。しかしそれ以降、自分の気に入る香水を探しては教えを守ってきた。
 
 ここのところ梅雨のせいか、ジメジメしている。こういう時こそつけすぎは禁物だ。手首にワンプッシュより少なめに手首につけて、首にこすりつける。密かなマイルール。
 あの時、お姉さんが持っていた香水は、イブサンローランのオピウムだと後から知った。いや、姉さん、社会人にしてはかなり攻めてましたね。
 香りは、ふとあの頃の記憶を掘り返してくれる。格好つける代わりに失敗は多いが、その分、恋しい日々が自分の中にあるのは悪いことじゃないような気持ちになる。

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