自己紹介

[おまえはだれだ?] 自己紹介いたします vol.4

 前回は、大学卒業あたりのことまでを、時代背景とともに書きましたが、いかがでしたでしょうか。
 特段、おもしろいということはないでしょうけど、あの頃に就職を迎えた世代にとっては、少しなつかしく感じていただけらたいいなあと思います。
 ここからは、20代前半の話を中心に、記憶をたどります。

はじめての仕事(社会人的な)22〜24歳あたりのこと

 僕の人生の中で、はじめて「仕事」と言えるのは、22歳のときに入った編プロ(編集プロダクション)です。なんとなく高円寺界隈で働きないなと思っていたところ、大好きなバンドのライブを見に行ったときに、その会場のビルに入っていた編プロ(倒産して現在はないらしい)を発見。ビル関係者にたずねたら、紹介してくれて、もれなく無給のインターンならということで、なんとか潜入成功。これが私の社会人第一歩(これが社会人というにはやや語弊はあるが……)。
 とかく、ここでの仕事は自分のその後の人生に大きな影響を与えることになる。やることなすことすべてが初めてで、すべてにおいて自分の持つ時間だけでは足りなかった。今で言うところのブラック企業であることは間違いなかったが、それでもその対価として学べることは多く、楽しかった。
 単行本を月2冊発刊していたのだが、これをつくるのが編集長と副編集長の2人!そこにアルバイトが1名加わった3人体制での制作。これがまさにブラック極まりなかった。しかしこれはあくまで結果論でしかないのだから、当時はこれが普通だと思っていた。月曜から木曜はここで朝から晩まで働き、いやインターンをさせていただき、金土日はコンビニのバイト(ここが収入源)。
 毎日の日課は、10時過ぎに出社し、地下で死んでいる編集長ほか編集に携わる人を起こす。そしてあたたかなコーヒーを淹れるところからはじまる。そして、午前中から昼過ぎまでは、高円寺近辺の書店をまわり、簡単な営業や在庫チェック(POSデータなぞもあったがそれを使う会社的体力がないので足で稼ぐ)。15時半くらいに戻り、編集の手伝い(撮影スケジュール作成や校正、本の返却や著者へのゲラのデリバリーetc)。19時あたりから、書店の状況をエクセルにまとめ、はじめて触るMacにてイラレやフォトショで勉強しながらポップやチラシづくり。23時頃に退社。
 高円寺から当時の住まいまでは、丸ノ内線と千代田線を揺られ、小一時間。食事は適当にファストフードで済ませ、帰って風呂に入って眠るだけ……。金曜の夜中からはコンビニで朝まで働き、昼は寝てまた夜中に働きに出る。唯一日曜の夕方から夜だけが、ゆっくりできる束の間のひとときだった。
 これだけを読めば、まあよくあるブラックな働き方なのだが、ここにはお宝があふれていた(今思えば)。本が出来上がる工程、パソコンのスキル、書店営業(完全なオリジナルだが)の、編集人の傲慢さ、デザイナー、カメラマンの良し悪しなどなど、たぶん普通の企業に入っただけでは手に入れられない経験がこちらの姿勢ひとつで舞い込んでくる。これは大きな収穫だった。自分自身もその得られる経験が、なんともいえない高揚感になり、毎日どちらかといえば楽しかった。ブラックなりにそこの社内の普通の人は比較的良い人ばかりで、よく話をしたり、相談に乗ってもらったりした。たぶん経営者や役員的な人たちがよくなかったんだと思う(社長以外にそんな制度がちゃんとしていたのか疑問であるが)。
 そして、翌年には、学生インターンが数人入ってきて、先輩になったりもした(お給料はないんですけど……)。
 本は毎月2冊刊行し、気がつけば20冊くらい出たあたりだったか、大きな転換期を迎える。学生インターンと夕食をしていたら、ある1人がこう言った。
「ケンヨウさんって、いつまでここにいるんですか?」と。
話を聞いていると、彼女は、美大生でイラストを描いている。ここへは、出版社と絵描きの関係性を学びに来ているのだそう。漠然と、今後のことを考えさせられるきっかけになった。ちなみにその彼女、今ではいろいろな媒体で絵を描いている。片や普通のサラリーマン……。
 そして、給料なし、バイト生活でいいのか?を自分へ問いかけた。
「金なし、時間なし……学べる経験の底がつきたらお前はどうする?」
 とても怖い問いかけだった。一気に頭打ちの状態に追い詰められ、知の底が見えてしまった。と大げさに捉えてしまった。当時付き合っていた彼女との関係も悪くはなかったが、これがきっかけにダメになるのではないかという不安もつきまとった。そんな状況を打破すべく、上司と会社に掛け合って、およそ1年その話し合いを続けたが、「君は必要だけど、社員として入れる余裕はない」の一点張りだった。どんなに自分のやってきたことを書面化しても変わらなかった。言い換えれば、自分のやってきたことは、代え難いものではなく、そこに金が発生するほどのものではないということだった。仕事ってなんだろう、と考えるきっかけになった出来事だった。
 ただ、そこには自分なりに楽しい時間は存在した。そして、それは今後も変わらずに存在する。だから、ここで意味のない争いは絶って、良い思い出は良い思い出にしておこうと思った。
 そして、そこからは若さの故か、見切り発車もいいところ。すぐに会社に辞める旨を伝え、しがないインターンは、またインターンに仕事を引き継ぎ、辞めました。自分なりに結構いい仕事をしたなと今振り返っても思うけれど、これは会社の体質なのか、本道の仕事以外は仕事とみなさない(認めない)ところがあったのかな。そう思う今日この頃。
 次の仕事も探さずに、仕事を辞め(結局生活資金はここではないのであまりそこの変化はなかったが)、次を探す日々を送ることとなった。

つづく

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