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[ちょっとしたエッセイ]なんか結局大丈夫なカラダになっちゃった

もうかれこれ30年近く付き合いのある友人がいる。
出会ったのは中学1年の時で、すでに彼女には『許嫁』がいた。
そういう「条件」があったせいか、とても大人びていた彼女は、みんなの恋愛相談や人間関係についてよく首を突っこんでは、概ね適度な解決に導く、ある種の救世主だった。
よく笑う人で、とても落ち着いていた(と僕には見えた)。そんな彼女は高校卒業と同時に当初の予定どおり結婚をした。
相手はひと回り以上年上の人で、とても小柄な人だった。
それ以降、僕も彼女も友だちたちも、それぞれがそれぞれの道の険しさにかまけて、ある程度の疎遠となっていく。
それでも、時折メールやら、とある時期から普及したLINEを活用しつつ、なんだかんだ連絡は取り合っていた。気がつけば時が経ち、僕らはミドル世代に足を突っ込む歳となった。

ある日、僕は彼女の家のある街に仕事の打ち合わせで来ていた。近くだからとLINEをして、打ち合わせのあとに、お茶でもしようとなった。5〜6年ぶりに会う彼女は、よく見ると目の際にしわができ、手を見るとあかぎれをおこしていた。
「だいぶ老けたね」
そう言う彼女に、「お互い様にね」と返した。
見た目は年相応になっても、話す内容なんて学生時代と変わらない。あの時、誰が誰を好きだったかとか、そんなことが話しの主になり、僕は今更ながら知らないことが多過ぎた。ただ、これは昔からであるが彼女が自分自身のことを話すことはあまりなかった。「許嫁がいたから」「だから色恋なんてない」なんていう勝手な忖度が僕を彼女への興味につなげなかったのかもしれない。
お互いにコーヒーを飲み終えると、彼女はちらっと腕時計を見た。時間は14時をまわったくらいだった。
「ねえ、ちょっと付き合ってよ」
時計を見終わった彼女は、僕に提案した。無言でうなずき、彼女についてゆく。

彼女の白いミニバンに案内されて乗り込む。僕からしたらとてつもなく大きな車で、助手席に乗ってもなんだか落ち着かなかった。
子どもが3人いる彼女にとっては、これでも狭いくらいよと言った。長男はこの春に高校に入学したそうだ。いつもは騒がしい車内で、僕は黙って窓の外を見ていた。
年齢ばかり重ねた僕にとっても、彼女の姿は、いくつも先のフェーズで生きていて、やっぱりいまだに大人びて見える。あの頃とどうも変わらないように思える自分を鑑みると、死ぬまでこの関係は変わらないのかなとふと思った。

しばらくすると、小川の見える駐車場に車は止まった。

「別に付き合ってもらうほどでもないんだけど、もう少し話がしたかっただけなのよね」
車から降りた彼女は、ピピっと鳴るリモコンキーの音とともに僕の方に笑顔を向けた。
「ねえ、タバコ持ってる?」
僕はポケットからライターとタバコを取り出して彼女に渡した。自分じゃ買わないけど、彼女はたまに友人にタバコもらって吸うことがあった。
「あのさ、3年くらい前に旦那が倒れたんだよね」
そこから少し、ここ最近の彼女の生活ぶりを話してくれた。普通の生活が一変するとは、こういうことなのかという連続だった。吹き出すタバコの煙の回数だけ、僕は彼女の苦労をかみしめた。けれど、彼女の口ぶりには、悲壮感のようなものはひとつもなかった。
「そうなんだ」
瞬発的に出る言葉はこればかりで、僕の知りうる生活とは程遠い別次元の話のように聞こえた。てっきり、結婚してから頼りになる夫がいて、子宝にも恵まれて、閑静な高級住宅地に住んで、誰もが羨むような生活をずっとしているもんだと思っていた僕にとっては、今の彼女がどんな生活をしているか想像もつかなかった。でも、僕から詳しく話を聞くのはやめた。

「何度かもうダメなんじゃないかなと思ったんだけど、夫もなんとか生きてるし、子どもも勝手に大きくなるし、なんだかんだ結局大丈夫なカラダになっちゃったんだよね」
ケラケラと笑いながら、僕にタバコの煙を吹きかけた。
昔、僕が女の人にこっぴどく振られた時、「なんとかなるよ」と言って、僕のあげたタバコの煙を僕に吹きかけてきたのを思い出した。その後、彼女は僕の目を見て、念を押すように「なんとかならないことないんだからね」そう言った。
いつも彼女からしたら、僕なんて小学生くらいの男の子に見えただろう。それが40歳になった今でも変わらない。それでも僕からしたら、あの頃あった見えない距離は、40歳になった今、関係性は変わらずとも、少し手を伸ばせば肩くらいには届きそうな、年齢的な距離が近づいたのではないかと思う。今、こうして自分のことを話す彼女を見て、彼女は僕を媒介にして「なんとかならないことなんてない」んだと、自分に言い聞かせているのかもしれない。きっとそうだ。
僕は、自分の辛い経験や出来事をいつも誰かにぶつけては、安心を引き出してきた。この歳になっても、その習慣は変わらないし、つくづく弱い人間だと思う。それに引き換え、彼女は自分ひとりで強くなっている。軽薄な想像で、ぬくぬくと生きてきたと思っていたのは、彼女ではなく実は僕の方だったようだ。

「あの頃って、やっぱり楽しかったんだね」
やっぱりという言葉に、僕は哀愁を感じた。僕も同じように思っていたから。
結局のところ、人生においてどんな過去にも、ちょっとばかりのロマンチックが散らばっている。それは、今まで生きてきた故の神様のご褒美なのかもしれない。
今日も明日も、いずれ小さなロマンチックになるのだろうか。

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