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インタビュー|Angles(vol.4 なおきさん)

本日はインタビューさせていただいた内容を記載したいと思います。
よろしくお願いします!

0.Anglesとは

”こそきわ構想”や”障害”の周辺で仕事/生活/活動をされている方々に、その人なりの角度(Angle)からの視点で語られるストーリーを伺います。(紹介いただける方が続く限り、、!)

こそきわ構想とは、私が自由研究のテーマとして妄想している内容です。以下に記載しています。

1.インタビュイーご紹介

今回インタビューさせていただいたのは、なおきさんです。なおきさんは、分身ロボットカフェでOriHimeのパイロットとして働かれています。
実は昨年7月頃にカフェに行かせていただいた際に、接客してくださった方です。
※すでにOriHimeのパイロットの方にはインタビューさせていただいたのですが、ぜひなおきさんにもお話を伺いたい!と思いご連絡させていただきました。
なおきさんは重症心不全を発症され、補助人工心臓(VAD)を装着されていて、24時間介助者同伴での生活をされている方です。

2.VADを装着される以前のなおきさんについて教えてください。

もともと富山県に住んでいて、大手企業で営業マンをやっていました。いわゆる”普通”の家庭を持つ人間でした。時に土日も忙しいこともありましたが、たまの休みには家族と外出したりという日常を送っていました。
サッカーなどのスポーツが好きで、見たりやったりしていました。
また、ドライブしながら歌を歌うことも、とても幸せでした。

3.どのような経緯で病気の発覚に至ったのでしょうか?

社会人になって15、16年という、まさに働き盛りの2007年のタイミングで呼吸が苦しくなった時期がありました。そして、大動脈弁不全症という診断をされ、弁置換手術を行うことになりました。その手術自体は、問題なく成功しました。
今から振り返ると、「もっとひどくなるかもしれない、死ぬまで心臓はもたないだろう」という思いがありましたが、だましだましの状態で生活していました。
その後、2017年にむくみや息切れが非常に激しくなり、致死性の不整脈が頻発するようになり重症心不全となりました。内科的治療ができず、心臓移植しかないという診断を受けました。

4.病気の発覚をした際どのような心境でしたか?

最初は心臓移植を考えることができなかったです。
そこまでして自分は生きる価値があるのか?ということを
考えさせられました。加えて、移植するためにはVADを体に
埋める必要があり、そうなると管理している病院から数時間の
圏内にいる必要が生じます。家族が住む富山を離れ、
東京で生活することになります。

経済面でも相当な負担となることもあり、ローンや子どもたちの
進学のことを考えると「さすがに自分が生きるためにそこまで
お金をかけられないだろう」と死を覚悟していました。
絶望というよりは腹をくくった感覚が強かったです。

5.発覚からどのようなお気持ちの変化があったのでしょうか。

「もちろん死を選ぶなら尊重するが、死を選んでほしくない」
という妻の言葉や
「弱っていく姿よりも笑顔で生活している姿を見たい」
という子どもたちの言葉やその他同僚や友人などの
身近な人からの激励によって奮い立たせられました。

また、医療関係者の方が親身になって介助してくれている方がいるのに、
自分が投げだしてしまっては失礼だなと感じるようにもなりました。

「笑顔で亡くなるということはきっと天国に導かれるだろうし、悔いが残ると死顔は苦しそうで地獄に導かれるんじゃないの?」
という当時高校3年生の息子の言葉は特に印象的でした。
しっかりしてきたなあと驚いたのを記憶しています。

経済的な面でも少し冷静に考えてみることにしました。
当時の移植待機期間は3年半でしたので、その期間なら経済的に
耐えることはできそうだ、と冷静になって考えました。

6.移植待機となってから現在に至るまでのご自身の変化について教えてください。

昨年の6月頃から分身ロボットカフェで接客のお仕事を
始めたことは一つのきっかけでした。
接客の際の話題作りのためには、世の中の流れやトレンドに
アンテナを張る必要があります。
今までは外出は通院しかなく、視線は自然と下に向かってしまい、
黒いアスファルトばかり目に入っていました。

しかし、接客をするようになり、自然と周りの景色を
見るようになりました。「あそこに桜が咲いているなあ」など
様々なものが視野に入ってくるようになりました。

「今日いい天気ですね」の一言をお伝えするのにしても、
自分自身が肌でその日の天気を感じていないといけないですよね。

働くことによって自分は仕事をしているんだぞ、
社会とつながっているぞという誇りを持つことができ、
やっと動き始めたという感覚を持つことができました。

この変化が私にとっては最もうれしかったことです。

7.今後の夢や目標を教えてください。

自分自身が動き始めたという感覚を持つことによって、
自身の未来を見据えることができるようになっています。

コロナ禍で働き方の変化がしているからこそ、活躍の場所を
OriHimeだけではなく、一般企業の障害者枠などの選択肢にも
チャレンジできるかもしれない!などとポジティブに捉え、
今後の目標が見え始めています。

最終的な夢としては障害者の方々に対する私なりの
サポートをしていきたいと思っています。
具体的には、障害を抱えた場合や病気になった場合における
社会保障、医療関係の保障の手続きに関するサポートをしたいと
思っています。

実際、私も病気になった際に、保障に対する申請や手続きに関して
全く知識がない中で自分自身でやるしかないという経験をしました。
自分自身が困難を抱えた経験があるので、その経験を活かして
サポートができるのではないか、と考えています。

8.今現在のなおきさんにとっての”生きる意味”を教えてください。

今までは普通に平凡にという安定志向でしたが、今現在は
チャレンジし、楽しく笑うことが生きる喜びとなりました。

「心」までは死にたくないですね。「まだまだいけるぞ俺は!」という
心持ちです。

この先の目標が見えて、楽しみでしかたありません!
これまで5年間溜めていたエネルギーを爆発させていきたいと思います!

9.インタビューを終えて

今回、短いお時間の中で、なおきさんの人生経験を
濃縮して伺う機会をいただきました。

私の浅はかな表現であまり多くを語ることは憚れますが、
感想、気づきを記載させていただきます。

まずは、なおきさんだからこそのVisionがやはり素敵だなと
感じたことです。

ご自身が病気を発症されたタイミングで経験した困難があるからこそ、
なおきさんの今後の夢があるというお話を伺いました。

今後活動されていく中で、なおきさんにしか気づけない
必要なサポートがあったり、当事者に共感した声掛けができる等
なおきさんだけの働きかけがきっとたくさんあるんだろうな、と
想像します。今後もなおきさんのアクションが楽しみです!

もう一つは”有限”を意識することについてです。

私自身もここ最近、親しい友人の死に接する機会があり、
死や命の有限性というものを改めて考えるタイミングがありました。

・目の前の「今」に”有る”ことが”難い”と認識できているか
・「将来」のために、いま目の前にある自分の「生」を手段に
 しすぎていないか

という問いは自分自身で常に持ち続けたいなと改めて
感じさせていただきました。
以前読んだ、「共感資本社会を生きる」という本に
ぴったりの記述があったので
最後に引用させていただき、終わらせたいと思います。

(P58)
人生が限られるとなると、やっぱり誰かのため、世のため人のために生きたくなるっていうのはあると思っていて。
でも自然から離れてしまった人間は、生老病死という自分の内なる自然からも目を背けてしまい、結果、締め切りのない人生を手段と目的を
はき違えたまま生き続けることになってしまう。
(中略P223)
アフリカでは生と死が隣り合わせということもあり、生きていること自体に感謝できるのだろう。今日1日を生きること、たとえば仲間と会話することだったり、家族と食事することだったりの当たり前の日常に幸せを感じることができる。他者との交歓や自然との交感によって、いまある自分の「生」を直接に充溢させていく。一方、日本では未来に置かれた目的のために、いまある自分の「生」を手段にする、つまり生きるリアリティの根拠を先送りにするような生き方が礼賛されてきた。
共感資本社会を生きる

ありがとうございました!

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