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Vol.8 世の中は、冷静に考えて、その方が良いに決まっている方向に転がる

これまで長く生きて、働いてきて、辿り着いた考えがあります。
それがタイトルの「世の中は、冷静に考えて、その方が良いに決まっている方向に転がる」ということです。

世の中の動きや未来を読んで、どう経営するか、何を開発するかというのは、結果でしか評価できないので非常に難しいことです。
なので、この考えをどう活かせるかはまだよくわかっていません。
でも過去を振り返るとうなずけることが多いので、今後必ず役立つと思っています。
どうしても理想どおりにできないケースもあり、簡単ではないのですが、少なくとも指標にはなると思うので、今回整理してみます。


事例1:携帯電話

今の若い人には想像ができないと思いますが、携帯電話が登場したとき、実はかなり多くの人は否定的だったのです。

・いつでもどこでも電話がかかってくるなんてあり得ない。
・常に監視されているみたいだイヤだ。
・自分の時間がなくなる。
・社用携帯なんて持たされたら、ゆっくりコーヒーも飲めない。
 (昔の営業マンはだいぶ楽をしていたんですね 笑)

ところがどっこい、今や携帯電話がない生活は考えられません

これってどういうことでしょうか。
実は簡単なことなのです。
ベルが電話を発明したときは、現在のようなバッテリーも無線もなかったわけですから、壁と線でつなぐしか解がなかったのです。
もし、当時、今と同じようなバッテリーや無線があったら、最初から携帯電話が生まれていたはずです。
なぜなら「冷静に考えて、その方が良いに決まっている」からです。

「冷静に考えて」とは

「冷静に考えて」というのは重要なポイントです。
上に書いた携帯電話を否定する意見は、全て個人的な意見です。

これに対し、「冷静に考えて」というのは「客観的に考えて」ということです。「初めからそうだったらどうか」ということです。

新しいものが出てきたときに、どうしても人は今と比べてしまいます。
今までの生活を基準にしてしまいます。
そして、今が満足だと、それと違うものを無意識に否定してしまいます。

そうでなはく、はじめからそうだったらどうか、生まれた時からそれがあったらどうか、と考えるのです。

そうすると、電話は線でつながっているより、持ち運べる方が良いに決まっているのです。最初からゴールは携帯電話だったのです。
いや、究極はハンディでもなくもっと先があり、まだまだマイルストーンに過ぎないかもしれません。

何となくイメージできますでしょうか。
以下に、別の例を2つ挙げます。

事例2:カメラ付き携帯

携帯電話にカメラ機能が搭載されたときは衝撃でした。
でも解像度はデジカメよりかなり低く、完全に使い分けされていました。
そして、そのカメラの解像度がXGA(1024×768)になったころ、私の上司がこう言いました。
「携帯電話のカメラはXGAより上は不要だ。これ以上は進化しない。」
当時はデジカメが全盛期だったので、携帯電話がそれを駆逐することは想像できなかったのでしょう。
私もさすがに今のような状態は想像できませんでした。

ところが結果はご存じの通りです。
いまやお手軽な撮影手段の座はスマホに奪われ、コンパクトデジカメはほぼ絶滅しました。

これも同じことです。
はじめから携帯電話に高解像度のカメラが付いて、通信で送ることができれば、その方が良いに決まっていたのです。

事例3:LED照明

今や家庭用の照明はほとんどLEDですが、昔は全て蛍光灯と白熱灯でした。
LEDは寿命が長く期待されていたものの、値段の高さがネックで、ビルなどの業務用での実用化に留まっていました。
このころ、家庭用LEDの普及を見越した特許出願を提案したとき、当時の上司(上とは別の人)がこう言いました。
「LEDは高いので家庭には普及しない。却下。」

これも結果は言うまでもありません。
値段は下がりましたし、少し高くても交換が実質不要というメリットが勝って、ほぼ入れ替わっています。その方が良いに決まっているからです。

以上、私が印象に残っている事例を挙げましたが、何でも同じです。
インターネットも、自動運転も、キャッシュレスも、クラウドも、何かと否定する人はいても、だいたいは冷静に考えてその方が良いに決まっている方向に転がっている、と言えるのではないでしょうか。

予見が難しいケース

ただ、何でもかんでもそうではない、というのが難しいところです。
特に難しいのが実現性の判断です。

携帯電話の普及を見通すには、バッテリーや無線などの技術の進化を予見するだけでなく、インフラの普及なども見据える必要があります。
スマホがデジカメを駆逐するかどうかは、センサーのコストダウンだけでなく、レンズ性能の向上をアナログ、デジタルの両面から予測できなければなりません。携帯電話からスマホへの進化も、ある程度想定が必要です。
LEDも、さすがに手が届く範囲まで値段が下がることを想像する必要があります。

それ以上に難しいのが、どうしてもできないものはできない、というケースがあることです。
例えば3Dディスプレイです。
任天堂の3DSを知っている人は多いと思います。
映画館とは異なり、メガネをかけなくてよい3Dディスプレイです。
あれが大型化して、高解像度化して、という進化は確実に起こります。
でも、3Dディスプレイというと、スターウォーズのレイヤ姫を想像する人が多いと思います。これができれば、その方が良いに決まっています。
でも、あれは本当に「できないものはできない」レベルなのです。
何もない空中に、十分な解像度で、どこからでも見ることができるように光源群を作るという技術は、全く見通しがないのが実情です。
ホログラムが最も近いですが、解像度などが理論上の限界で、何十年も実質進化していません。

ただし、これとて、100年後もできないのか、と言われると自信がありません。何かとてつもない進化を遂げるかもしれません。視神経や脳に直接刺激を与えるという飛び道具で、一気に進むかもしれません。

そのあたりの目利きが難しいのです。

ただ、基本的には、実現する技術さえあれば、小型化、低コスト化は時間の問題、インフラはその気になれば作れる、と考えれば良いと思います。

パソコンが出始めたばかりの1991年に、現在のユビキタスコンピューティング時代を予言したマーク・ワイザー氏は、まさにこの思考回路を持っていたと言えます。

初めて人が月に降り立った時に、将来月旅行ができるようになる、と考えるのも、この部類です。一見無理っぽくても、冷静に考えると可能性があることは判断できます。

それ以外は、何か非連続の進化があるかもしれないが、逆に言うと、そういうことがなければ実現しない、と考えておけば良いと思います。

いずれにしても、そういう技術を見る目は必要になります。

まとめ

今回はあまり明確でない内容を書きましたが、こういう感覚を持っておくか否かで、少しは未来を正しく読めるのでは、という気がしています。

私はあまり遠い将来を妄想する力がないので説得力に欠けますが、近い将来で言うと、仮想通貨やAIは否定する余地がない、つまり活用される方が良いに決まっている部類だと思います。
仮想通貨は技術的にいくつか心配があり、完全には解消されないと思いますが、利便性が勝つと考えています。
AIは、余計なところで運の影響を受けなくなります。人に依存すると、たまたま担当者が悪かったということが起こりますが、AIはある意味平等です。
生まれた時から存在したら、と考えると普通に便利です。

逆にダメなのではと思うのは、例えば原子力発電です。
これは、その方が良いと思いたいけど、条件を満たせないパターンです。
核廃棄物の処理(核融合)が将来できるという前提で推進されてきました。
でもその目処が立たない今は、一旦立ち止まって考える時です。

さて数年後、どうなっているでしょうか。

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