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ニューロン・リサイクル仮説からみる脳の普遍性

「新記号論」を以前読んだときに、認知科学者・チャンギンジーらの結果に衝撃を受けた。⾵景の中に現れる幾何学的パターンの分布とあらゆる言語の⽂字の中に現れるパターンの分布が⼀致することを⽰した。 この研究結果は⼈類が⾝に着けた⾃然を観察する能⼒に適応するように、⽂字の形が収斂進化していった可能性を⽰している。
この詳しい結果については、「ヒトの目、驚異の進化」に記載している。

そして「新記号論」ではこのチャンギージーの結果と、ドゥアンヌが提唱している「ニューロン・リサイクル仮説」との関連性が述べられていた。今回のノートでは、ドゥアンヌの著書「脳はこうして学ぶ」を読み、「ニューロン・リサイクル仮説」に関して知識を深めたい。

赤ちゃんがすでに持っている知識

脳は白紙ではなく、核となる知識を相当持った状態で生まれる。この事実は昔から議論をされていたが、様々な実験から垣間見ることができる。脳回路は誕生時時点ですでに組織されていて、赤ちゃんは物体、人、時間、空間、数とあらゆる領域に高度に操作できる。
例えば赤ちゃんにあらゆる「2つ」のものの画像を見せた後、突然「3つ」の画像を見つめると注意をする時間が長くなる。箱の中に数に偏りのある赤いボールと白いボールを入れて、ランダムにボールを取り出すとその偏りに反したボールの色だと赤ちゃんが注視する。これは赤ちゃんが確率を把握していることを意味している。

ニューロン・リサイクル仮説

そのような脳のベースがありつつ、人間が多様で高度な学習をするうえで、どのように脳は使われるのだろうか。
「学習」は脳回路の修正によって起きる。そして人間は学習をした際にニューロンが変化することで新たな知識を蓄える。この事実は昨今のAIブームのニューラルネットワークでよく引用される内容である。
ニューロン・リサイクル仮説は、シナプスの可塑性が脳を適応可能にしている一方、脳回路は進化から受け継いだ強固な制約に左右されていることを表した仮説である。ニューロン・リサイクル仮説は、端的にいうと「学習をすることは、既存の脳をリサイクルするということ」であるという仮説だ。

人間が読んだり計算したりをできるようになるためには、既存の脳回路を転用することで学習がされている。読む力は視覚と話し言葉の回路をリサイクルしている。人間が読み方を学習する際、視覚野の一部が文字列認識に特化するようになり、文字列を話し言葉の領域に送る。その結果書かれた単語は話された単語と全く同じように処理され、識字能力は言語回路に視覚からの新たなパスを生み出す。

識字能力は物体を認識する領域や、場所を認識する能力をリサイクルするため、字が読める脳と読めない脳を比較すると脳の領域が識字能力で使われていることがわかる。

またそれが読み書きというレベルだけではなく、高度に抽象化され複雑な数学の場合にも、人間が既存に備わった概数用の回路をリサイクルしていることがわかっている。

脳が受け入れる文化とは

ニューロン・リサイクル仮説を別の見方をするとその脳回路は、当初の機能が新たな文化的な役割と十分に似ていて、新しい使い方に転用できるほど柔軟にできていないといけないとも言える。
例えばアルファベットやアラビア数字など、我々が発明する新たな文化的事物は、脳の「ニューロンによるニッチ」を見つけることで人間の知識になっている。
チャンギージーによると、⾵景の中に現れる幾何学的パターンの分布とあらゆる言語の⽂字の中に現れるパターンの分布が⼀致することが示されている。 この研究結果は⼈類が⾝に着けた⾃然を観察する能⼒に適応するように、⽂字の形が収斂進化していった可能性を⽰している。

風景から文字が生まれるインスタレーション

上記の発想をもとに生まれた作品がバベルのランドスケープである。風景から文字が生まれ、そして文章ができる様を作品に落とし込んだ。文化として備わっている文字や文学と、人間が見ている視覚、風景をブリッジすることで人間本来備わっているニューロン・リサイクル仮説を考えさせる作品として制作した。

今後も人間の認知とは何か、文字・メディアとは何かを考えていきたい。

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