未熟に始まる30代を前に
年々老いていく年齢を肯定的に捉えることができるかどうか。
それが、今後生きていく上で重要になっていくんだろうな。
Salut! ça va?
フランスにワーキングホリデーで来て、1ヶ月ちょっとが経過しました。
現在も引き続き、リヨンにある語学学校に通ってフランス語を勉強しています。
フランス語は少しずつ話せるようになってきました。
ちょうど昨日行われた小テストでは、文法と筆記でかなり良い点数が取れました。
しかし、その分コミュニケーションにはまだ難があります。
毎日フランス語で会話することを目標に、学校での授業はもちろんのこと、学校の生徒や先生、スーパーでの買い物など、タイミングを見つけてはフランス語を使っています。
また、実際にフランスに住んでいるフランス人ともわずかながら交流の機会を見つけ、フランス語力向上を図る今日この頃です。
リヨンでの滞在は8月末まで。
その後は南仏・プロヴァンスに移動し、働くことにしました。
この辺りのことについては、また今後の投稿で改めてお伝えします。
現在29歳。8月生まれの僕にとって、1ヶ月もしないうちに30歳を迎えます。
例年は誕生日だからといって特段意識することはありません。
しかし、今年は違う。
「20代が終わる」ということに対して様々なことが頭の中を駆け巡るようになりました。
それは「20代」という強烈なインパクトのある「若さの代名詞」を失うことへの焦り。
こんな未熟なまま30代に突入してしまうことへの恐れでもあります。
ちょうど1年前、僕はフランスにワーホリで行くことを思い立ち、今年の6月に実際にフランスにやってきました。有言実行です。
そもそもこの時期にフランスに来たのは、僕が30歳という節目のタイミングをフランスで過ごしたかったから。
挑戦するのが好きだから、挑戦している状態で30歳を迎えたい。
それが大きな理由です。
20代から30代と移る過渡期に何を思うか。
不慣れな土地で生活しながら考えたいとも思いました。
フランスに来て以降、精神的な波はいくつもありました。
ネガティブで落ち込むこともあれば、ポジティブでハイになる時もある。
1ヶ月も経つと状況は落ち着き、今後のことを考える余裕も出てきました。
だから最近はやりたいことがポンポンと思い浮かんできます。
あれがやりたい、これをやったら楽しそう。
僕はそもそも好奇心が旺盛な方なので、地に足を着いた瞬間、いろんなアイデアが思い浮かびます。
そもそも、海外に来てやりたいことが思い浮かぶのは当然のことだと思います。
それは、年齢に限らず。
今まで経験したことのないことをたくさん経験し、いろんな人生を生きている人に会うと、どんどん視野が広くなり、アイデアが思いつきやすくなると思います。
それが海外の良いところでしょう。
また、それは別に海外に限らないとも思っています。
大小関わらず、何か新しいことに触れたり、新しい人に出会える環境を自分で探して飛び込んだり。
その過程でアイデアの種が思い浮かびます。
結局のところ、どこに行くかとか誰に会うか、みたいなことが視野を広くする上で大事になってくるなと思います。
改めて、行動するってすごく大事。
人間は、自ら行動した先に、どういう仕事をしたいかとか、どう自己実現したいか、っていう考えが浮かぶのではないかと思います。
逆に、そんなに行動しない人が自分の人生こうだって決めつけるのはちょっと不自然な感じもします。
You、もっと動いちゃいなよ。
しかしながら、新しい発見をしたからこそ感じることもあります。
僕は29歳になった今でも、やりたいことはたくさん思いつくし、多くの人に憧れを抱きます。
そんな事実を前に、かえって自分自身を未熟に感じてしまうこともあります。
この世の中、一つのことをやり続けた人が評価されます。
プロフェッショナルこそが成功者の証明でもあるし、そういう人に自分もなりたいって思ってます。
でも自分のこれまでを振り返ると、仕事はいろいろ変えてきたし、場所も変えてきたし、結局何をやっても長続きしないでここまで来てしまいました。
プロフェッショナルとは対極の人生を築いてきてしまったことが、自分を弱く感じさせる要因になっています。
それが今感じている焦りの正体なのかもしれません。
しかしながら、視点を変えてみることもできます。
自分を低く評価してしまうのは、自分が持ってるものを見るか、持っていないものを見るかという差でしかないのかもしれない。
履歴書などを見て客観的に自分の経歴を振り返ると、一応それなりに社会の網をくぐってここまで来たことを実感します。
そんないろんな局面を乗り越えてきた今の自分に自尊心を感じられるかどうか。
それが自分を未熟かどうかを感じる要素になるのかもしれません。
そう考えると、実力うんぬんとか、いくらお金を持ってるとか、そういったものは全然関係ないのかもしれません。
ただ自分の自分に対する評価が、未熟かどうかを定めているだけなのでしょうか。
子供の頃に見えた大人はとても立派だったし、尊敬の対象でした。
かつて抱いた大人像と今の自分を比較すると大きな差を感じてしまいます。
こんなはずじゃなかった。
たまに、そんな自分のことについて、僕より少し歳が上の人たちに相談します。
そんなとき、必ず言われることがあります。
それは、30歳って言っても結局みんな子供の頃からの延長で生きているってこと。
ある時を境にすごく大きく成長することはあったとしても、結局昔から今の自分まではずっと一本の線で繋がっている感覚。
人生には波はあれど、たった一つしかない。
なるほど。
成長って一ヶ月とかで比べるとそんなに大きくは感じません。
しかし、当たり前ですが10年前と比べるとかなり大きく感じます。
日々の中に自分の成長を感じる瞬間など、そう多くはないでしょう。
たまにそういう瞬間はあるかもしれないけど、それが一年間毎日続くことなどあり得ないと思います。
日々の強い成長欲求を求めていると、自分が成長してないなって感じてしまいます。
成長を感じたいなら10年など大きな単位で自分を振り返るのがいいのかな、なんて思いました。
むしろそれができるのが、成人して10年経った30歳って年齢なのかなぁ。
そうやって成長ばかり追い求める生き方もどうなんだろう。
成長って義務じゃないのに、なんで自分はこんなに強く追い求めているんだろう。
ふとそんなことを思ってしまいます。
でも、成長したいから僕はこうしてフランスまで来て貧乏生活しながら生き延びている。
そこに自分の満足感があると思ったから、行動してきた。
僕にとって成長とは、自分で自分を満足させられる唯一のツールなんだと思います。
ありもしない世間体を気にしてしまう。
でも自分の苦手はことはやっぱり続けられない。
わがままな大人なんでしょうか?
年を取ることには抗えないから、せめて年相応というありもしない基準には抗いたい。
だから10年単位でちょっとした成長の差を感じていって、年々老いていく年齢を肯定的に捉えていく。
それが、僕が自分の人生に未熟を感じないために必要なことなのかもしれません。
まぁそれに気づいただけでも20代良かったのかな、なんて。
今日も夏の日差しを浴びてリフレッシュしようかな。
フランスでの生活はまだまだ続きます。
↓ワーホリのきっかけなどはこちらに書いてます。
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