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曖昧な発信でも良いんじゃないか

4年ぶりの一日は、日本中を驚きと祝福で包み込みました。

大リーグ・ドジャースの大谷翔平選手が2月29日、結婚を発表しました。
とてもおめでたいことです。

一スポーツ選手の結婚発表ながら、日本では大きなニュースとなりました。
また、BBCなど海外の経済誌までもがニュースとして取り上げるなど、改めて大谷の持つ影響力の大きさを感じました。

僕は同じ1994年生まれで、高校生の頃から大谷の活躍を見ていただけに、雲の上の上の上くらいまで遠くに行ってしまった印象があります。
嬉しくもあり、少し寂しい気持ちもあります。

さて、そんな大谷がインスタグラムで突然の結婚を発表した翌日、結婚について本人の口からもいろいろと報告がありました。
気になる結婚相手については「日本人女性」と控えめに語るのみでした。相手が一般人であれば、控えるのは当然でしょう。
そして、結婚の決め手となったことについて、大谷はこのように語っていました。

「何でしょうね。特にこれっていうのはないというか。一緒にいて楽しい人ですし、なんとなくずっといるところを想像できたんじゃないですかね。」

出典:FNNプライム

また、相手の女性に惹かれた部分については、このように語っていました。

「これというのはないですね。全体として雰囲気というか一緒にいて楽しいですし、これひとつっていうのはなくて、全体的な雰囲気があってるかなっていうか。」

出典:FNNプライム

これらを聞いて僕は一つ思ったことがあります。
それは、ぼんやりと抽象度を高くしたまま語っているということ。

自分が好きなものを伝えるとき、通常はっきりと何かを伝えることは多いのではないでしょうか?

たとえば、小さい子供が「好きな食べ物は?」と聞かれた際、悩むことはあっても「ハンバーグが好き」とはっきり答えることは多いと思います。
コレ!と一言で伝えたほうが自分の思いが伝わりやすいものです。

もし、ここで「なんでもいい」とはぐらかすと、自分の好きじゃない食べ物を食べなければならない可能性があります。
それはなんとしても避けたい。

そして、それは対人であっても同じだと思います。
「あなたの○○な部分が好き!」
特に恋愛の文脈では、相手に思いを伝えるためにこのような表現を伝えることがあるかと思います。

大谷の例に戻ります。

今回はマスコミ相手ということであえて抽象的に語っている可能性もあります。
しかし、僕が思うに、大谷はあえて詳細に決めていなかったのではないかと推測しています。

その理由をもっと探っていきましょう。

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大谷が日本ハムから大リーグ・エンゼルスに入団したのは2017年のシーズン終了後。

当時すでにアメリカでも注目を集めていた大谷は、この時、ヤンキースやレッドソックス、のちに入団するドジャースなどの名門球団を避け、比較的知名度では劣るエンゼルスを選んだことが話題になりました。

赤いユニフォームに袖を通した大谷は、エンゼルスへの入団の決め手について、このように語っています。

「感覚的なもの。縁みたいなものを感じた。いい球団だと思ってお世話になろうと決めた」

出典:日刊スポーツ

記者はモヤモヤしていたでしょう。

大谷からは入団理由について、たとえば「強い球団を倒したい」「二刀流のプランを提示してくれた」「お世話になった人がいる」などといった具体的な理由を一切述べませんでした。

何かしっくりこない。

見ていた人にはそのように思った人もいるかもしれません。

大谷はあくまで、「縁みたいなもの」とエンゼルスへの決め手を抽象的な理由にとどめました。
もしかしたらメディアの前で語っていない本当の理由があるかもしれません。

しかし、大谷にとって決め手というのは、はっきり詳細に伝えるものではない、という考えを持っているのは確かでしょう。

対して、自らの意思については詳細に語ります。

「二刀流として活躍したい」、「優勝したい」、「誰もやった事がない事をやりたい」。

誰にでもわかる具体的な目標を伝えます。
そして、それは同時に周囲に対するアピールにもなっています。

大谷といえば、高校時代に書いた目標シートも有名です。

花巻東高校・佐々木監督の指示のもと、「ドラ1、8球団」という大きな目標を叶えるための小さな目標を「マンダラチャート」というフレームワークで書き表しました。

自ら挑戦していることについては、詳細な目標を立てて伝える
対して、好きなことなど感情的なことについては、(あえて?)抽象度高いまま伝える

大谷翔平にはこのような性質があることがわかりました。

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大谷のように影響力の大きい人となると、発言のひとつひとつがピックアップされることがあります。
何気ない一言であっても、それを大きく取り上げられることがあります。

そういった立場を本人は十分認識しているのでしょう。
発言には気をつけたいという意識があるのは、ひしひしと伝わってきます。

インスタグラムのストーリーに載せた投稿ひとつを取っても、様々なネットニュースで記事になる。

うっかり誰かの悪口でも書こうもんなら大変な騒ぎになってしまうでしょう。
そうして炎上して、メンタルが崩れて、、、

前人未踏の挑戦をしている大谷がそんな目に遭ってほしくないと、一ファンながら思います。

しかし、これはスーパースターの大谷翔平だからという問題でもないと思います。

今の世の中、SNS等で気軽に発信ができるようになりました。
それはつまり、有名人ではない自分の一言も、ふとした瞬間に大きな影響力を持ってしまう可能性もあるということです。

素人でもすぐに大衆から注目される存在になる可能性があるということは、同時に批判にさらされる可能性を含んでいることでもあります。

自分のちょっとした発信によって、見ず知らずの誰かから誹謗中傷を受ける。
その可能性があるのが今の世の中だと言えます。

僕自身、この件についてはモヤモヤとしたものを抱えるようになってきました。

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現代は、様々な物事が目まぐるしく変化し、従来に比べて予測がしづらい時代になりました。

この時代のことを、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)という4つの単語の頭文字をとって「VUCA」(ブーカ)とも呼び、ビジネスにおいても個人のキャリア形成においても、従来とは異なるアプローチが必要だと言われています。

これまでの「教育→仕事→引退」というステレオタイプの人生プランが通用しなくなっていく。

2016年に発売され、日本でも大ベストセラーとなったビジネス書『LIFE SHIFT』(著:リンダ・グラットン)では、変化した時代だけでなく、寿命が伸び、人生が100年間となったことに際し、そのように述べています。

そして、この不安定で正解がない時代を生き抜くには、自分がやりたいことに忠実に従い、自分の人生を生きることが大切だとされています。

特に日本では経済が安定していたこともあって、これまでの時代、人生プランは比較的考えやすいものだったと思います。
大学を卒業し、就職。就職先で異動や昇進を繰り返す。生活資金が安定してきた頃に結婚をし、子供をつくる。ローンを組んで家を買う。定年まで同じ企業で働き続け、引退後は年金を受給しながらスローライフを過ごす。。。

この時代は、そのプランの崩壊をも意味するのです。

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Challenge myself.

僕にとって「挑戦」とは、人生をより良くするためにはなくてはならないものだと思っています。
挑戦によって自分の可能性に気づき、挑戦によってこれまで見たことのない景色を見ることができる。

僕自身もそうだし、みなさんに対しても、自分がなにかやりたいことが見つかったら、どんどんやるべきだと思います。

僕はたまに人からお悩み相談を受けることがあります。
「○○をしたいと思っているけど、どうしましょう?」

答えはひとつ。迷わずやれば良いでしょう。

相談するということは、すでに自分の中でやりたいという意志があるということでもあります。
そんなとき、僕はその人が挑戦に進めるように背中を押してあげます。
「がんばれ!大丈夫だから。」

しかし、それでもできない人がいます。
なぜなら、挑戦とは同時に失敗の可能性も含み、そしてその先には恥や後悔といったネガティブな感情を多分に抱えているからです。

そのネガティブな部分に怯み、「挑戦をしない」という決断に落ち着いてしまう。
これはとてももったいないです。

とはいえ、僕もこのような気持ちは十分に理解できます。
失敗が怖い。うまくいかなかった自分を認めたくない。周りの人からダサいと思われたくない。。。
理由は挙げればいくらでもあるでしょう。
でも、大体はそれらは同じような理由に行き着くと思っています。

日本では特にそうですが、他人の失敗を嘲笑う文化があります。
成功者は持ち上げ、失敗者はこき下ろす。

本当に良くない!

自分のやりたいことをするのに他人の顔色を伺っている時点で良くない、という前提はあります。
しかし、そういった悪い風潮が挑戦したい人の気持ちを削いでいるのは事実としてあると思います。

自分の人生を生きよ!

2013年に発売され、心理学者アルフレッド・アドラーの理論をわかりやすく説いた本『嫌われる勇気』(著:岸見一郎、古賀史健)では、すべての悩みは人間関係だと述べています。

他者から否定されることを怖れ、自分がやりたいことができない。

この本は累計1000万部を超える大ベストセラーとなりました。
そのことからわかる通り、多くの人達は、自分の人生を生きたいと思いつつもできていないのでしょう。

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先に述べたように、今の時代はSNS等で個人が自分の意見を発信しやすくなりました。

しかし、それによって、自分自身の過去の発信との整合性についても言及されるようにもなりました。

かつてはAという考えを持っていた。
しかし、その後いろんな話を聞いたり、いろんなものを見て、Bという考えに変わった。

これは著名人への批判によくある例です。
過去の発言との不一致を指摘し、その人をこき下ろす。

一般人は批判されることは少ないにしても、周囲の人がその変化にどう感じたかを考えてしまうことは多いのではないでしょうか。

僕も、この「過去の発信との整合性」について、悩むことがありました。

僕は今から2年前、それまで働いていた会社を辞めて、ジョージアという国に行きました。
そこでフリーランスとして稼いで、一人で生きていきたいと思っていました。

まさにVUCAの時代を生き抜きたいと思って挑む、背水の陣の大きな挑戦でした。
その際、このnoteに「フリーランスとして稼ぎたい」という意志をこめて、以下の投稿をしました。

しかし、それから1年が経ち、結局思っていたほど稼ぐことはできないまま日本で会社員に戻って今に至ります。

最初は意気揚々と気概を持っていました。
しかし、時間が経つにつれて、実際はそこまで上手くいかない現実、そしてそれに伴うモチベーションの低下から、そのギャップを大きく感じ始めてしまいます。

僕はメンタルがとても弱いため、そのギャップに徐々に耐えられなくなってしまいます。
日々減っていく貯金に視野も思考も狭くなっていたことから、日本で会社員として再び働き始めることにしました。

僕にとってはこれは「失敗」でしかありません。
宣言したのにできなかった。とても大きなショックでした。

投稿自体は削除せずに残してありますが、このかつての発信内容と現在の状況の不一致を今でも恥と感じてしまっています。

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日本では古来より、言葉には霊がこもると考えられていました。
言葉には不思議な力がある。それは「言霊」とも称されます。

特に「言ったことが現実になる」という意味では、日常でもよく耳にします。

「〇〇大学に合格する!」と言い続けた学生が、本当にその大学に合格する。

根拠がなくても、「運が良い」って言い続けてたら、本当にラッキーなことが起こる。

「どうせ俺なんてダメなんだ」と言ってた人はいつまでも好転しない。

ポジティブとネガティブのどちらの意味でも、言ったことは現実になりやすいものです。

そして、これを逆手に取って、あえて宣言することで目標を明確にするという手法もあります。

先に上げたように、僕がnoteに書いた投稿はまさにこの手法を用いたものです。

言ったから、書いたから。
だから自分はできると信じている。現実になると信じている。

自分の場合は上手くはいかなかったものの、決してその行為自体は悪いものではないと思っています。
むしろ、自分を奮い立たせるにはこのくらいのことをしたほうが良いのは間違いないと思います。

しかし、発信するということは同時に世間にさらされるということでもあります。
ここは十分注意が必要です。

僕のように、「結果として上手くいかなかった」場合もその痕跡は残ります。
仮に投稿を削除したとしても、データとしては残るし、今や「デジタル魚拓」という言葉も出てきたように、スクショなどで画面を保存されている可能性もあります。

ひょんなことから発したメッセージが後々大問題になった。
そんな事例は今や多くあるかと思います。

軽はずみな発言だけではありません。
先にも述べたように、途中で自分の考えが変わってしまったために、過去の発言との整合性が取れなくなってしまった。
それによって、自分が苦しくなってしまった。

これはみなさんもあるのではないでしょうか。

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ドナルド・トランプは、2016年のアメリカ合衆国大統領選挙にて下馬評を覆し、大統領に当選しました。
ビジネスマンから大統領へ。
賛否はあったものの、「大統領は誰でもなれる」という合衆国憲法が本当であることを証明しました。

一般的に政治家は自分の主義主張が一貫していることが求められています。
それは政党の主義に乗るためでもあるし、投票してくれた有権者の願いを叶えるためでもあります。

しかし、政治家経験のないトランプは、時々自身の意見に整合性が取れていなく、数日の間に異なる意見を主張することもありました。
トランプは自身の意見の整合性について、記者から問われた際、このように答えました。

「当然だろ、私は成長しているんだ。」

その自信のある一言によって、その後記者は何も聞けなくなってしまったそうです。

一人の人間としては至極真っ当なことではあります。
しかし、このようなことを言えるのは、トランプのような自信家に限られるでしょう。
このように批判を恐れないことを大衆の前で話すのは、一般人では難しいかと思います。

とはいえ、色んな情報が入ってきたら意見が変わるのは当然のことです。
政治家だって内心そのようなこともあるのかと思います。

自分が正しいと思う意見も案外脆いかもしれない
とはいえ、批判も否定もされたくないのが正直なところです。

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最初の意見を押し通すより、柔軟に対応していきながら自分の意見を確立していく
自分が考え上げた意見が脆いというリスクを鑑みて、素早く軌道修正していく

最近、僕はこのようなことを思うようになりました。

ビジネスの文脈では、失敗を経験することが非常に大切だと言われています。
いくつか理由はあるものの、そのひとつに、自身の立てた仮説が誤りであったことを証明するため、というものもあります。

だったら自分の意見を強く持つ必要はないのではないか。

自分の意見を発信した。
しかし、後から知った違う意見のほうが賛成できた(もしくは、現実はそうではなかった)。
自分の意見は脆かったと気づいた。
意見の整合性が取れなくなった。

それで叩かれたり、恥ずかしいと感じたり、ネガティブな思いを抱くのは嫌です。

発信しなければいいのかもしれない。
でも、今の時代はそうも言えない。

それなら、最初から意見も理由もなにもかも曖昧なままでいいのではないか

それこそが今の時代を生きやすくする方法なのではないでしょうか。

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冒頭の大谷翔平選手の詳細に伝えない意見は、大谷なりのリスクヘッジなのかもしれません。

影響力のある人間の発言は大きな威力を持ちます。
だからこそ、自分の意見を曖昧なまま発信する。

それで余計なリスクを避けているのかもしれません。

これを自分たちの日常にも取り入れて良いと思いました。

言霊は上手く使えば、自分を奮い立たせるものになります。
しかし、上手くいかなかったら、自分にとってネガティブなしこりが残ってしまいます。

だったら最初から曖昧にしておくことで、余計に傷つかなくて良い

VUCAの時代は情報が錯綜し、いろんな事柄が目まぐるしく変わります。

整合性なんて取れないと割り切ってしまえばいいし、最初から宣言もしなくていい。
人への思いも、詳細に言語化しなくていい。

そもそも人間は完璧な存在ではない。
だから言論が一致していなくても責める必要なんてないし、いつか自分も同じ目に遭う。

そうやってリスクヘッジしながら、自分にとって生きやすい環境を作っていくことが大切だと思いました。

今の時代には今の時代なりの生き方がある。
ふと、大谷翔平の会見を見ながら、そんなことを考えたりしました。

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