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渡航日の朝【海外就職への道43】

こんにちは。マニラからお届けします。

今回は前回の続き、コロナ禍で2年間我慢し、ついに迎えたフィリピン渡航当日の様子についてお話しします。

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朝7時のアラームで起き上がる。荷物の置かれていない空虚感のある部屋に、ここはもうお前の居場所ではない、と言われているような気分になった。空は青く澄み渡っていた。これからあの空の向こうへ飛び立つ。

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2022年1月23日、いよいよ渡航日を迎えました。体調は良く、いつもと同じ朝を迎えられました。普段朝ごはんは食べないので、父が淹れてくれたコーヒーだけを1杯飲みます。味覚音痴なこの舌でも、今日のコーヒーはいつもより味わい深くように感じました。新聞を読んだり、日曜朝のゆるいテレビ番組を見たり、あたりまえの光景も最後だと思うと、脳裏に焼き付けたい気持ちがありました。

毎日過ごしたこの家での日常も今日で終わり。3歳で住み始めてから社会人1年目途中の23歳まで過ごし、その後2年間の一人暮らしと3ヶ月の留学を経て、25歳で再び住み始め、今や27歳。最後の2年間は予期せぬ形になったけど、この家での生活はのべ20年を超えて、とても強い愛着を持つようになりました。

そんな愛着のある家は今日を境に僕の家ではなくなります。その寂しさをひしひし感じながら、持っていく荷物を確認しました。

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母に見送られながら家を出ました。空港へは父が車を出してくれることになり、妹も付いてくることになりました。父と妹は飛行機が好きで、フライトレーダーのアプリを見て語り合うような人たちでしたが、僕にはその血は受け継がれませんでした。

今回、出発地は成田空港ではなく羽田空港。羽田発マニラ行きの飛行機に乗ることになりました。今まで国内外へ何度も旅をしてきたけど、羽田空港に向かうときはいつも父の車に乗っていたことを思い出しました。環八通りを南下する車からの景色には、旅前の高揚感が焼き付かれていて、今回も同じ気持ちになりました。

羽田空港第三ターミナルに到着。海外渡航といえば成田である自分にとってここへはこれがまだ2回目。がらんどうでもあったその空間はまだ自分にとって新鮮なものに映っていました。

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元気でな、そう言われ、家族と別れました。お利口ちゃんになるように育てられ、大学を卒業し大企業に就職するも、何があったか、突然海外に行くと言い出し、実家に戻ってきました。お前のやりたいようにやればいい、と自由を与えてくれた家族には改めて感謝の気持ちでいっぱいです。

時間が経つのは早く、出発時刻も早々に近づきます。ゲートへはスムーズに入れ、出国に関しては何も問題なく進みました。ゲート内は驚くほど人がいなく、改めてコロナ禍の現状というものを目の当たりにしました。これから乗るフィリピン航空の機体を前にし、久しぶりの海外への緊張感が芽生えました。

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飛行機に乗り込み、いよいよフィリピンに向けて飛び立ちます。

この続きはまた明日。では。

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