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シバ神の夜に

 生活のしにくい土地だけれど、死ぬにはいい場所かもしれない。街を歩きながら、ぼんやりとそんなことを考えている。カトマンズはヒマラヤ山脈の隙間に、何か不思議な力で人と建物が吸い寄せられて押し込められたような佇まいだ。レンガとコンクリートで積み上がった壊れかけの建物の間に電線の束が重たそうにぶら下がる。その下を鮮やかな民族衣装を着た人々が賑やかに行き交う。道端では、食材や道具を地面に広げて商いをする人や、廃材で焚き火をする人々。猿たちは自身が人間であると思い込んだような顔つきで塀の上に座っている。灰色に濁った川辺はゴミで覆われていて、野良犬と穴の空いた服を着た子供たちが何かを探してうろつく。土埃を纏った風に、スパイスとお香の香りが濃淡をもって運ばれてくる。そんな街の至る所に祭壇がある。破壊の神でありながら人々に敬愛されるシバ、そのシバの息子で父親に首を飛ばされ、象の頭を挿げられたガネーシャ、日本の狛犬とルーツを同じくする獅子など、祭壇にはさまざまな彫像が置かれている。その像たちには不思議と人の目を引く力がある。どこか物ではなく、この街の古くからの住人としてそこにいるかのように生き生きしているのだ。人々が日々捧げる祈りから生気を得ているのだろうか。街角に完全に溶け込んでいる。とにかく、都市に生き物でないものがたくさん住んでいるような気配を常に感じるのだ。ジャングルの中で、姿は見えないけれど全方位から様々な生物の視線を受けている感覚に近い。この街で、それは神々なのか、死者の霊なのか、人々の集合意識なのか分からないが、温かい混沌を人々は受け入れて生活している。そんなこの街の雰囲気が、死への親近感を感じさせるのだろう。日本はとても清潔で、明快で、生きている人間にとって合理的だ。その分、死は肩身が狭い。死因に関係なく、死ぬのは気を遣う。冷たい秩序に、生も死も冷やされている。
 この街は謎の存在で賑わっている。死は世界の一部として受け入れられていて、死ぬことにそこまで気を張る必要がなく、死んだ後も賑やかそうだ。

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