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コロナ禍で寄付文化は醸成されたのか?

こんにちは。READYFORで働いている徳永といいます。

自己紹介はこちらよりご覧ください。


今週より、毎週1本を目標にnoteを頑張りたいと思っています。テーマは、反応を見ながら考えたいと思いますが、クラウドファンディングのTIPSなどの話やファンドレイジング関連についてになるかなと。

僕自身、まだまだこの若輩者で、間違いや理解の浅い部分があるかもしれないので、自分の学びのためのアウトプットとしても頑張っていきたいと思います。

また、noteの更新がサイクルになれば、修士にいた頃に社会構造的な本を読みふけっていたので、その辺のレビューもしていければと思っています。(ボロが出そうで怖い。w)

本棚でセンとアーレント、ブルデューの本が積読のままになっているのと、最近本棚から引っ張り出したスピヴァクの『サバルタンは語ることができるか』が、ようやくわかってきた感があるので、どこかで読書感想文を書きます。

大学で授業で読んだのですが、全然理解できなくて苦しんだ記憶です(笑)

特に今の仕事をしていると「支援が必要な方(=受益者)」の「代弁者」の方々と仕事をする機会が多いのですが、そもそも代弁行為自体が難しいこと、さらには代弁だけではなくソリューションを社会に提示しながら改善に向けてアクションを起こさなくてはならない、という激ムズなことを実践している方も多いので、改めて腑に落ちています。

「支援が必要な方」自身が、声を上げられない、の意味について、現代社会でも通ずるものが多いので、内容めちゃ難しいですが興味ある方は読んでみてください。僕も改めてまたレビューに再挑戦します。


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初回のテーマは、コロナ禍の寄付文化の変容に関する私見について。(あくまで徳永個人の私見です。)

そろそろ2020年も終わりに向かっていきますが、今年の春でコロナ社会に突入してから、私たちの暮らしは一変しました。リーマンショック以上の経済打撃で、今後職を失う方や支援が必要となる方が増えることが懸念されています。それを少しでも食い止めるために、様々なセクターが立ち上がり、資金需要が至るところで発生しました。

今まで寄付の調達を積極的にしたことが無いような病院や興行団体など活用するなど、挑戦者・寄付者の裾野は確実に広がっています

その様相を振り返る時に、「コロナ禍を経て、寄付文化がさらに浸透しつつあるよね」ということを知り合いのファンドレイザー達とも話していましたが、具体的に何が変わっているのか、どう変わるのか、についてより詳しく考えてみたいと思います。


1.コロナで「初めて寄付をした人」が本当に増えたのか?

寄付者の数は確実に増加したと思います。クラウドファンディングのサイトに初めてアカウントを作成し、寄付した、という人も多いと思います。

政府の決定により、特別給付金が支給されることになり、一人につき10万円、5人家族では50万円の収入がありました。世帯によっては、そのうち数%を寄付に回そうという意思決定がなされ、家族みんなで寄付先を選ぶ、というアクションもあったとも聞いています。

給付金を寄付に回そう、という呼びかけを行うキャンペーンも実際にありました。

コロナ給付金寄付プロジェクト https://corona-kifu.jp/


総じて「初めて」寄付をした人が増えた、とは言いますが、果たしてそれはあっているのか。厳密に言えば、「寄付をしたことがあるものの、それを覚えていない、または認知していない」人が、今回のコロナ禍でも寄付をした、という表現の方が正しいと考えています。

例えば、東日本大震災の時、募金箱にお金を入れた記憶がないでしょうか。コンビニのレジ横の募金箱にお金を入れた記憶がないでしょうか。

私の周りで、「寄付したことはない」「俺は寄付はしない」と豪語していた大学の友人も、かつて、TABLE FOR TWOの生協のメニューをバクバク食べていたので、彼はメニューに含まれている20円の寄付をやはり自覚していないんだろうな、と思います。(その分、TFTのメニューは魅力的ですごいなと改めて思います(笑)。)


僕も小学校から大学院まで全部公立でしたが、義務教育の中でさえ、赤い羽根の寄付集めを教室の中で実施していたのを覚えています。

中学校の時には生徒会で厚生委員長をやっていたので、赤い羽根もやりましたし、アルミ缶のプルタブを集めて車椅子を送ろうとか、ベルマークを集めようだとか…。ベルマークについては、全クラスの厚生委員を召集してKPIを課すなんていう今考えると鬼畜なことをやっていました。

今でも各小中学校で同じことを実施しているのかわかりませんが、少なくとも僕の世代より上の人は、義務教育の中で寄付に関わるという接点を持っていると思います。

しかし、寄付をした方に、前に「いつ」「どこに」「いくら」「なんの取り組み」へ寄付したか聞いても、明朗に答えられる方は少ないのは確かであったと思います。


2.記憶に残る寄付と、記憶に残らない寄付

ここで重要なのが寄付が「記憶」に残っているかどうか。

日本ファンドレイジング協会の代表の鵜尾さんが著書(2014)の中でも言及されていますが、日本の寄付構造といえば、釣り銭型寄付であったとのことです。

釣り銭型寄付構造とは、一人当たりの寄附の金額(単価)が海外に比べて非常に小さく、何か特定の目的のためにある程度のまとまった金額を寄附するのではなく「気が向いたときに、つり銭程度を寄付する」という行動が中心に見られる社会であると。

他方で、欧米型の寄付構造は、「寄付をして、社会になんらかの変化を起こしていきたい、寄付したあとの結果や変化を見ていきたいという感覚の寄付」で、社会変革型寄付構造であるとされています。

欧米型のような寄付が構造的に成り立たない背景には、日本社会において「寄付文化がない」のではなく、NPOや市民社会組織の活動自体への成功体験が限定的であることや、「欧米型寄付行動」の習慣と成功体験が限定的であることが課題であるとしており、日本社会にマッチした「寄付の成功体験」が不可欠であるということをおっしゃっています。


私も鵜尾さんの言葉を借りると、やはり必要なのは「寄付を通じた成功体験」を寄付者自身が得られることである、と考えています。その体験が積み重なると、寄付に関わる寄付者のプライオリティが高まり、取り組みへのエンゲージメントが高まり、寄付の単価も大きく変わっていくと。


このコロナ禍ではどうでしょうか?

今回、クラウドファンディングを通じてなされる寄付は、少なくとも3,000円以上での単価での寄付が多くなされていました。READYFORの平均支援単価は10,000円を超えており、少なくとも釣り銭、で語られるような金額ではない資金提供を各個人が選択していました。

募金箱への寄付ではない、生活導線上にない寄付。「自分がこの取り組みを応援したい」と、いう気持ちで、サイトを開き、個人情報を入力し、クレジットカード情報の入力し、決済する。相当なパワーが働いていなければ、当然のこと離脱して寄付をやめてしまいますし、体力が必要。


もちろん、「給付金があったから寄付をした」という人も多いかもしれません。しかし、先ほどの5人家族のように、家族で寄付先を決め、寄付をするというアクションは、「なんとなく」なされるものではないはず。

「なんとなく寄付」から「意思決定を伴う寄付」が増えたことは、個人的には、日本ならではの寄付文化の醸成を進める上では、良かったことだと思っています。


「国がやるべき!行政がやるべき!」でフリーライドすることもできますが、少なくともそこに私財を注入し、課題解決を後押しするオーナーシップのある方の多さをとても感じました。


3.「想い」の乗ったお金の重みを忘れてはならない。

そうして、コロナ禍では、多くの善意のお金の流れが生まれました。その流れは大きく、これまでお金が流れにくく「諦めざるを得なかった」とされてきた場所にも、個々の意思決定でお金がめぐる社会になりつつあります。

ただし、もちろんお金を巡らせただけでは終わりではありません。

きちんと、集まった寄付(エネルギー)が何に活用されるかが明らかで、寄付者自身に還元(※)されることが重要になってきます。(※還元、とは実際にリターンを返す、恩恵受ける、だけではなくて、「寄付してよかった」の体験そのものも含みます。)


「結局、何に使われたかよく分からない」/「よく分からないから、もう寄付しない」ということの無いように、ファンドレイザーやファンドレイジングのプラットフォームには、透明性の高い責任ある行動が求められます。

ひいては、支援体験を毀損させたり、がっかりさせないために、倫理観を持って業務に取り組まなければなりません。悪意なきミスでも、信頼を失ってしまうと、取り戻すためには莫大なエネルギーが必要になります。


基本的なことかもしれませんが、ファンドレイザーの基本である「AskとThanks」、それに「Transparency(透明性)、Responsibility(責任)、Accountability(説明責任)」が伴っていること、そして誠実であることが最低条件です。(少なくともファンドレイジングサイドではなく事業サイドでは、Scalability,Sustainability,Impactみたいなものも両輪で考える必要があるでしょうが…)


4.今回のnoteの総括

総括すると、

・「コロナで初めて寄付をした人が多い」という理解は誤りで、「ほとんどの日本国民はなんらか寄付をしたことがある」が認知していないケースが多い

・このコロナでは、意思決定を伴う単価の高い寄付が増えており、社会変革型寄付構造への転換のチャンスでもある

・支援者と課題解決のための活動を実践する団体をつなぐハブとして、ファンドレイザーが果たさねばならない役割は多い

ということを書きました。

今、クラウドファンディング以外にも様々な機運が高まっている状況だと思うので、成功事例を多く積み上げていけるといいなと思っています。


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東日本大震災の起こった2011年に、日本で初めてクラウドファンディングが始まりましたが、当時「サービス」として生まれた仕組みが、2020年に資金調達の「ソリューション」として活用されたことは、本当に関わる自分にとっても感慨深いものがあります。

もちろんプラットフォームだけでは問題解決ができず、多くのプラクティショナーの方々によって実現されるものではあります。ただ、そのプロフェッショナルの方々から必要とされ、共に関わらせていただけることは本当にありがたいことで、これからも良いサービスが提供できるようになりたいな、と思っています。


※また、ここで述べている「意思決定を伴う寄付」については、突き詰めて寄付者に求めすぎると、敷居が高くなってしまい、ハードルの高い高尚なものになってしまう(なんかモラハラみたいになる)ので、全ての寄付行為は寄付者の自由であり尊く、承認されなければならないとも思っています。そういう意味合いでは、寄付の動機はなんでも良いかなと。うまくモヤモヤが言語された記事を同僚が書いていたりしますので、是非こちらもご覧ください。


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今回は、クラウドファンディングのプラットフォームの中から、様々なキャンペーンを見てきた目線で、コロナで寄付がどう変わったのか、について主観から書かせていただきました。

リアクションやコメントがいただけると、励みなります。

来週からも色々書いていきます〜。


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Top画像はUnsplashより|Chris Lawton @chrislawton

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