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過去の哲学者に学ぶいまの生き方 デカルト

ルネ・デカルト(1596年-1650年)といえば「我思う、ゆえに我あり」という名言でしょう。デカルトは疑う人でした。目で見たことでさえも(悪魔がそういう錯覚を起こさせているのかもしれない)と疑います。そうして疑って疑って疑いつくしても、確実なこと、それは「こうして疑っている自分は存在する」ということだったのです。

デカルトは何がしたかったのでしょうか?経験論盛んだった哲学界隈で、それまでの「経験できることから世界を理解していくんだ!」という風潮に待ったをかけたのです。「その経験、本当に正しい?」と。
このころ科学が急速に発達し、様々な発見で“世界”の科学的理解が進んでいったのです。化学は積み重ねです。数が定義され、演算が定義されたら1+1は絶対に2だし、1×1は絶対に1なのです。デカルトは哲学による世界を理解するときに、絶対正しいことを発見したかったのではないでしょうか?

我々人間は共通の祖先から生まれているので、認識や思考に共通するものが多くあります。だからこそ、人間は合理的に考えれば、かならず同じ認識・結論にたどり着くと考え、これが真実してとらえる合理主義を展開しました。

でも当時の哲学では合理的に考えても「我思う、ゆえに我あり」に積みあがる理論が出てきませんでした。1+1=2ということは絶対正しいことは分かったけれど、2+2は4とは言えない。それは数と演算の定義ができないからでした。

じゃあデカルトは失敗だったのか?
いえいえそうではなく、合理的に考えることの重要性とその方法論を提示できたのは今から考えても彼の功績です。また当時の自然科学の方法論にも影響を与えています。

現代のわれわれがデカルトから学ぶべきことはなんだろうか
●批判的思考の重要性: デカルトの方法的懐疑は、あらゆる情報や前提を疑うことの重要性を強調しています。現代社会では情報があふれており、その真偽を見極めるために批判的思考が必要です。デカルトのアプローチは、情報を鵜呑みにせず、自分で考え、検証することの大切さを教えてくれます。
●自己の存在と自己認識の確認: 「我思う、故に我あり」の命題は、自己の存在を疑いようのない事実として確認することの重要性を示しています。これは、自己意識と自己認識の探求を通じて、より堅固な自己理解と精神的な自立を促し、自己肯定に繋がります。
●理性の使用と倫理的判断: デカルトは理性を高く評価し、倫理的な判断や決定を下す際にも理性を用いるべきだと考えました。現代の倫理的、道徳的問題に対処する際、感情や偏見に流されず、理性的なアプローチを取ることが求められます。
●科学的方法と疑問の価値: デカルトの科学への貢献は、仮説を立て、それを系統的に検証する方法の初期の例です。科学的探究の基本原則を適用することで、より良い技術的、医学的、社会的進歩を達成することが可能です。またデカルトが行った知識の基礎の再構築の試みは、既存の理論やシステムに対する疑問を持ち、より良い理解や改善のための新たな視点を提供します。


デカルトの教えは、個々人の思考と行動、そして科学的探究や倫理的決定において、理性を活用し、批判的に考えることの重要性を再確認させてくれます。これらは、技術が進歩し情報が氾濫する現代社会において特に重要なスキルと言えるでしょう。

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