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0→1をやる人は、やっぱりすごいよねって話

ここ最近はもっぱら暇なので、いままでよりはたくさん映画を観たり小説を読んだり、音楽を聴いたりしている。

だからここ1週間くらいのnoteでは、作品全般について触れたものが多い。

つまり、例によって今回も作品についてのnoteなのだけれど、言いたいことはタイトルでぜんぶ言ってしまった。

そう、「0→1をやる人は、やっぱりすごいよねって話」だ。


インタビュー記事と脚本・小説・歌詞の違い

ぼくは先月の8月いっぱいまで、ライターとして1年間インターンをやっていた。

文章を書くことに関しては小さい頃からまあまあ好きで、1年間ライターとして文章に向き合うなかで、より一層、「言葉」に対する思い入れは強くなった。

インターンでは「広報」という形で、社員インタビューやイベントレポートを執筆させてもらい、それはそれでとてもやりがいがあった。

ただ、どちらがスゴいとかっていう優劣の問題では全くないと頭ではわかっていながらも、いま映画や小説、音楽に触れるなかで「ゼロから作品を生み出せる」想像力と創造力に、尊敬の念を抱いている。

社員インタビューやイベントレポートというのは、社員の方の原体験や話、イベントといった「材料」が既に存在している。

そしてそれをどう「料理」するのかが、ライターの腕の見せどころでもある。

しかし、上述した映画、小説、音楽といったものは、その材料から自分で用意しなければならない。

その描写、その表現、その言葉が、別にあってもなくても良かったものだ。

にも関わらず、作者はそれを能動的に「書く」という選択をした。

この決断が、ものずごく尊いなあと思わずにはいられないのだ。


その道の60%までくると、その道のトップにいる人のすごさがわかる

なんて言葉を聞いたことがある。

外から見ているだけではわからないけれども、実際に自分でやってみて、そこそこ実力がついたときに初めて、自分のやっている領域の難しさやそこで先頭を走っている人のすごさがわかる、と。

去年1年間、ぼくのいままでの人生のどの1年間よりも真剣に「言葉」や「作品」と向き合ってきたことによって、60%くらいまで到達したかどうかは一旦おいておいて、その「言葉」一本でガチンコ勝負をしている脚本家や小説家、作詞家の方に対するリスペクトが以前よりも増した。

そして、いままでの人生で一番、脚本家や小説家、作詞家になりたい欲求が高まっている。

というよりも、いままではほぼ皆無だったから、「芽生えた」、もしくは「そう言うひとの気持ちが理解できるようになった」といったほうが正確かもしれない。

そんな労働集約型で属人性の塊みたいな職業、心と身体が持たないよ!と小賢しいぼくは敬遠していたのだけど、生み出せてしまう人は、そんな雑念とっぱらって、どうしても表現したくなってしまうのだろうなと思う。


0→1って、もう少し違う文脈で使われるよね

もうひとつ、ぼくはこの1年間で「ビジネス」というものにも、初めて真剣に向き合った。

こちらも60%に達したなんて口が裂けても言えないけれど、「0から事業を生み出す能力」の希少性は、身にしみて感じた。

よく、事業は「0→1」と「1→10」の2つの段階に大別されて、やっぱりこれもどっちが優秀とかって順序はないんだけれど、どうしても「0→1」のフェーズができる人により尊敬の念を抱いてしまう。

いまのぼくに、その能力があると自信をもって言えないから、隣の芝生が青く見えてしまっているだけかもしれないけど。

それを差し引いても、やっぱり「0からなにかを生み出せる」人っていうのはスゴい。

世の中が変わり始める「きっかけ」は、いつも彼ら彼女からなんだもの。


★いろいろなコンテンツに触れまくって、分析し始めてる自分がいる


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