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世の中を変えるのはいつもわがままだ

ぼくは基本的に、物欲がほとんどない。

ミレニアル世代だとか、ミニマリストといった肩書を名乗るつもりもないけれど、とにかく物欲が、ない。

というか、物欲に限らず、ぼくには外部に何かを求める類の"欲"がない。

面白い体験をしたい!や、いい写真を撮りたい!といった願望はあるけれど、それらは自分でどうにかすればいい話だ。

とにかく、諦念なのかなんなのかは分からないけど、ぼくには他者に何かを求めることが少ない。

だから、なにか自分のアンコントローラブルなものに対して、一瞬不満を感じたときは、自分の心の中で対処療法的に解決してましまう。

自分の中で勝手に論理を組み立てて納得させたり、自分は自分、相手は相手と割り切ったり。

いつごろからかはわからないが、そうするようにした。すると、すごくストレスが少なくなった。

一言で言うと、他者や環境に期待しない。

これはこれで、ものすごく穏やかな心を保ちやすいのでオススメだ。

ただ最近、もう少し"わがままな"自分も必要だなと思うようになった。

今のぼくのやり方だと、自分は解決するかもしれないけど、世の中は解決しないのだ。

家入一真さんはよく、「起業家は、独善的な社会不適合者だ」と言う。

これは、めちゃくちゃ的を射ていると思う。

要は、今の世の中に自分を合わせるより、自分の思うように社会を変えるほうが心地よいから、何かサービスやプロダクトを生み出すのだと。

最初、家入さんの言葉を記事で読んだとき、とても腑には落ちたけど、同時に「自分は起業家気質じゃないな」とも思った。

別に起業家が完全に素晴らしいわけでもないし、一つの役割でしかないのだけど、これからどんな形で世の中に価値を生んでいくにしても、「起業家気質」という名の"わがまま"は必要だ。

振り返れば、世の中は常に"わがまま"が変えてきた。

楽をしたい、健康になりたい、自分たちで世の中の意思を決めたい…etc

それらを解決してきた人たちも、パッとその不満を感じて、それを根にもってプロダクトへ昇華させるタイプの人たちばかりかと思っていたけど、最近は意外とそうでもないなと感じている。

なにか世の中の課題を解決したい!お金持ちになりたい!影響力を持ちたい!という結果としての願望が先にあって、それを達成するためにある種後天的に不満を見つけて、情勢させてプロダクトに昇華させるパターンも結構いるんだな、というかなんならそっちのタイプのほうが多いんじゃないかという気がしてきて、そう思うとなんだか自信がでてきた。

対処療法的な表面上の穏やかさは保ちつつも、心の奥底では何かに飢える、何かを欲するような状態を目指してみる。



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