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「だ・である調」の自分も好きになってきた

文章において、文末の調子を統一することは大事だと言われている。

そして、その種類はぼくの知っている限りで、「だ・である調」と「です・ます調」へ二分される。

2種類の文調に優劣は全くないのだけれど、書くときの人格は、それぞれの文調によってなんとなく変わるような気がしている。

実際、ぼく自身がそうだからだ。

そして、いままではのぼくは、で・ある調で書いているときの自分が、あまり好きではなかった。

なんというか、少し上から目線な感じがして、無愛想で偉そうな雰囲気だったのだ。

すごい悪い言い方をすれば、口だけ評論家のようだった。

それで、はてなブログで書いていたときなんかは、いっときです・ます調でばかり書いていた。

こっちのほうが、穏やかな気持ちで、淡々と書くことができる気がしたからだ。

でも最近のnoteなんかでは、ぼくはで・ある調でも書いている。

です・ます調でしか書けないのは幅が狭まってしまうなと思ったのがきっかけではあるけれど、単純に最近ので・ある調のぼくもけっこう好きだ。

で・ある調で書いていても、全く偉ぶった気持ちにならないし、むしろです・ます調よりも体重が乗せやすくて書きやすい感触さえ覚えている。

考えられる理由の一つは、最近小説を読んだり、歌を聴くようになったからかなと思っている。

小説や歌詞はで・ある調の文章も多いけれど、それはなにかや誰かを批評するためではなくて、自分の心情を赤裸々に告白するために使われていることが多い。

以前ぼくが読むで・ある調の文章といえば、ビジネス関連の記事やコラム、自己啓発書などだったから、で・ある調はなにかを断定するために使われるものという印象が拭えなかった。

でも最近は小説や歌詞に影響を受けて、もっと優しくて血の通ったで・ある調を書けるようになってきた気がする。

これからはもっともっと、で・ある調とです・ます調を柔軟に使い分けられるようにしていく。


★最近はもっぱら、小説や映画、音楽に勤しんでいる


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