タイトルを固定して撮る面白さ
「街のスナップを撮る場合、何を被写体にしたら良いかわからない」と言われる事があった。
「その時、良いなって感じたものを」と伝えても、上手く伝わらない。
自分としては当たり前な感覚なのだが、具体的な方法を例示しないと想像しにくいのだろう。
何故、具体的な方法が必要なのか?
と考えると、自分には「暗黙の了解の様なテーマ」を持っていて、そこから導かれる「撮りたいモチーフ」や「気持ちの良い構図」がある事に気づかされた。
被写体が決まっている撮影なら、より良いカットにするべく様々な方法や構図を考える事ができるけど、テーマが無いただの撮影になったら、街スナップなんて監視カメラの映像と同じになってしまうだろう。
ならば、テーマ決めて撮れば良い。
「アートっぽい1枚」とか「今だからこそ」とかのテーマを持てば、その時の感情で選ぶモチーフや構図は方向性が定まりやすいはずだ。
そんな事を考えているうちに、感情的なテーマで撮ったらさらに面白いかな?って思うようになって、設定してみたのは「孤独感」というテーマだった。
テーマが決めたのなら、
それを明確にするタイトルを決めて撮った方がより伝わりやすい。
・・と言う事で決めたタイトルは「孤独な日常」。
今回アップする写真は全て「孤独な日常」というタイトルが付いている事を前提に見て欲しい。
感情的なテーマを設定した場合、感情に訴えやすい撮り方がが大切になる。
例えば、色情報を無くしたモノクロだったら、嫌でも想像力を求め、同時に注意力も喚起する事が可能となる。
ただし、色による感情の誘導が大事なモチーフの場合は、こんな風にカラーで現像した方がより効果的だと考えている。
この写真は、「クリスマス」というシチュエーションを感じる中で「孤独感」を演出したかったためクリスマスカラーを利用しているのだが、影の作り方や構図の中にも孤独感を引き立てるように仕掛けを施している。
タイトルを設定しないでこの写真を見るよりも、「孤独な日常」というタイトルがあった方が、今の時代の様々なモノが浮かび上がってくると思うのだけど、如何だろうか?
実は私のnoteにアップしてきた写真の中には、そのテーマ・タイトルで撮ったものが多くあり今回は再掲になる写真も多くなるが、「孤独な日常」というタイトルであらためて観ていただく事で、感情表現としての写真の面白さが理解いただけると考えいる。
例えば、最近アップしたこの1枚。
アップ時、RF28mmのゴーストについての説明として使ったが、元々の狙いはモノクロだったのでゴーストの有無については気にしていなかった。
大事だったのはその瞬間で、構図として成立する状況でシャッターを切る事だけ。
最初からモノクロにする考えだったのは、この構図に色は邪魔で、闇の中にある光とのコントラストを見せたいと考えたのだ。
では「孤独な日常」というタイトルを与えるべく、モノクロに現像した写真を見ていただこう。
ゴーストが消えるのは、PhotoLabで1次現像をする際にFilmPack7をプラグインで使ってフィルムトーンとカラーフィルターをかけているからで、コントラストの調整は2次現像の Photoshopを使用する際にNik6 Color Efexをプラグインで使って行い、同時に周辺光量の調整やリサイズ等も施している。
こうやって「タイトル」を設定して狙うと、街その物を撮るよりも人物を狙う事も多くなっていくが、スナップである以上あくまで「その日その時の記録」の中で写り込む、というスタンスを忘れては面白く無い。
何故なら、孤独感をテーマに撮る写真においては、自分自身が孤独感を理解し表現する上で「リアル感」を大事にしたいと考えているからで、それは作られたシーンにおいては本物を凌駕するのはかなり困難、となるからだ。
それと、テーマが「孤独感」でありタイトルが「孤独な日常」なのだから、感情が見える構図であるならば、被写体が人じゃ無くても擬人化もしくは感情移入できるものであるならば良いと考えているので、例えばこんな写真も面白いと思う。
こうやってタイトルを固定して撮っていると、その日の感情が明確に引っ張り出される効果がある事がわかってくる。
自分にとって「孤独な日常」とは何だろうか?
その問いが撮影時に常にあるわけで、結果、明確にその時の感情が構図に現れてしまう事に気づくだろう
当然の事だが「自分の感情」にフォーカスして撮っているのだから、「何故その時、この1枚を撮りたかったか」と考えれば、リアルにその時の感情の感触も蘇るだろう。
この写真は、コロナによって営業時間が制限されていた頃に撮ったもの。
当時、エッセンシャルワークをやっていた自分は、22時までの遅番勤務に就く前にチェーンの洋食店へ行った時、客が自分1人しかいない事にもの凄い孤独を感じて思わずシャッターを切った。
ガテン系なユーザーが多いこの店は濃い味付けと盛りが多い料理が多く、ランチタイムはタイミングが悪いと座れない位に混む店だった。
だが、当時はコロナの感染力は想像以上に強く死亡に繋がる場合も多かったので、
飲食時にマスクを外す事で感染すると考える人も多かったのだろう。
牛丼屋やファストフード店でさえ、閑古鳥が鳴く状況だった事を思い出す。
今となっては「孤独な日常」というタイトルが合わない写真だが、当時は閉塞感と絶望に近い感染状況に加え、明日は我が身となる恐怖感もあった事が蘇る1枚だ。
同じ年の9月、規制が緩和されつつある情報があったものの、まだまだ渡航については待機期間が設定されていたタイミングで撮った1枚。
マジックアワーなタイミングで色合いも綺麗ではあったが、その美しさはタイトルにとっては不必要。
同時にスマートフォンの画面で明るくなった顔をアクセントにしたかったので、モノクロにしてカラーフィルターで肌色が明るくなるように調整して仕上げた。
この写真は、「孤独な日常」シリーズの1枚目。
新型コロナウイルスによる最大の被害者は子供達ではないか?
・・と感じて切り取ったが、リモートワークやリモート学習が当たり前になり、将来に渡っても大事な人間関係となる友人との交流さえもがリモートになっていった事を思い出す。
そんな閉塞感や孤独感を暗めの露光と強いコントラストに落とし込むのには、モノクロによる現像が適していると考えた。
この写真は、暗い公園のブランコで揺れている老人を見つけて撮ったものだが、一絞りオーバーで撮影してもこの暗さ。
ISO6400でシャッター速度を1/4秒にしたのは、ゆっくりと揺れるブランコの動きを出したかったからで、EOS Rの30メガセンサーでIS付レンズならいけると考えてシャッターを切った。
撮影した町は所謂下町で、この様に所在なげに過ごしている老人を多くいる。
その日もたまたま通りかかって見つけた、というモチーフではあったけど、高齢社会の中で生きる姿は他人事と言えない年齢の自分としては、身につまされる思いがした事を思い出す。
この構図は私のスタンダードと言うべきモチーフの一つで、時の流れを人の流れになぞらえる様に狙って、老人の孤立感を視覚的に捉えられるように狙って撮った。
RF24-50mmは、R5にはやや力不足な性能ではあるが、そのコンパクトさ故の使いやすさは捨てがたく、R専用と思っていたにも関わらず、結構な頻度でR5でも使う事が多くなった。
ただ、如何せん暗い。
本来なら2絞りほど絞り込みたいところだが、この写真もシャッター速度を上げたところ、開放で撮る事を強いられてしまった。
「孤独な日常」というタイトルがあるだけで、撮る写真はある一定な方向へ向かうようになった。
ただ、こればっかり撮っていると作風が固定されてしまうので、違うテーマも撮るように心がけている。
街撮りの面白さは、その時代が写り込む事にあるので、タイトルをつけずに撮る事で違う世界を見つけられるだろう。
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