「ファンタジーが現実に与える影響と音楽」

「結局こうなってしまうんじゃないか」と怖がりながら行動した結果、その行動が原因で恐れていた通りのことが起こることがあります。
 心理学ではこれを「予言の自己成就性」と言います。
 例えば「私は早死にの家系だから50歳で死ぬに違いない」と思い込んで「どうせ死ぬならしたいようにしよう」と暴飲暴食を20代から行った結果、実際に生活習慣病になって50歳で死んでしまうようなケースです。
 このような「予言」は心理学の物語療法においてドミナントストーリーと呼ばれています。
 フロイトやユングの精神療法が素晴らしい成果を挙げた一方で、合わない人もいたのは、フロイトやユングの理論を当てはめると「不幸な予言」となってしまう場合があったからです。
(もちろん、フロイト派やユング派の療法家の方々はそうならないように努力をしておられると思います)
 ではどうするか?
物語るということは
「そこで語られなかったことは無視する」
ということです。
 ですので、冒頭の例でいうと「自分は早死にの家系だから50歳で死ぬに違いない」という物語で語られず無視された側面、例えば「祖父母が早死にしたのは戦争のせいであって今は違う」等を物語に付け足せば「私は長生きできるかもしれない」と予言を書き換えられます。
ここまでの話を前提として(前提長すぎ)
イソップ童話の「蟻とキリギリス」について考えてみましょう。
「蟻とキリギリス」で語られなかったであろう部分はなんでしょうか?
キリギリスが楽しい演奏をするために長年行った厳しい練習、
労働に疲れた蟻達の心をキリギリスの演奏が癒したこと、
そしてそういった演奏によって蟻達が「ただ生きるために働く」のではなく「生きるに値する喜びの為に働く」という人生の意味に目覚めたこと 等々 です。
今、パンデミックによって、芸術に携わる人々に「冬の食べ物がないとき」がやってきています。
しかし「蟻とキリギリス」で語られなかった側面、芸術を不要不急とみなした人たちが無視した側面に目を向けるならば、「パンデミックによって文化・芸術は衰退する」という不幸な予言は書き換えることができると思います。
皆で新しい「蟻とキリギリス」の物語を作りましょう。

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