『音楽が犯罪抑止につながる理由』

ニュースを観ていると、ある重大な刑事事件の容疑者が『馬鹿にされたと思った』からやったと述べていました。

『なぜ、馬鹿にされたと思ったくらいで、あんなにひどいことが出来るのか?理解できない』

と一般的には思われるような事件でしたが、心理学的には割と簡単に説明がつきます(まぁこの説明がこの容疑者に当てはまらない可能性もありますが…)。

乳児や幼児は、育ててくれる人に愛されなければ生きていけません。

育ててくれる人が、言葉がまだわからない乳児や幼児に、優しい口調やしぐさ、身体的接触で

『私にとって、あなたは大事な存在、これからもあなたを守り、育てる』

と伝えてくれなければ、乳児や幼児は、

『今後も必要な栄養や環境が与えられる保証がないならば、心身の成長のような栄養を大量に消費することは出来ない』

と成長を止めますし、ひどいときには生きることそのものをやめることもあります。

つまり、乳児や幼児にとって愛情は『他者による生存の許可あるいは保証』であり、その記憶は無意識の領域に残りますので、大人にもそう感じられます。

そういった『生存の許可あるいは保証』である愛情には、条件付きのものと、無条件のものの二種類があります。

条件付きの愛情は「あなたが美しいから愛する」とか「あなたが勉強が出来るから愛する」というように『○○だから愛する』という条件付きのものであり、

無条件の愛情は「どんなあなたであっても愛する」という存在そのものの肯定です。

無条件の愛情をたくさん受けたと思っている人は、『自分は無条件に生きていてもよい』と感じていますが、条件付きの愛情をたくさん受けたと思っている人は『自分は○○でなければ生きていてはいけない(生存の許可あるいは保証をされない)』と感じています。

(ここで、大事な点はどちらも本人がどう思ったかによって決まるということです。実際は無条件の愛情をたくさん受けて育ったとしても、本人が条件付きの愛情を受けて育ったと思い込んでいたら、その人は『自分は○○でなければ生きていてはいけない』と感じます。)

さて、話をもとに戻しますと、『あることについて馬鹿にする』ということは、『あることについて○○であるべきなのに、そうではない』と指摘することです。

つまり、もしもその『あることについて○○であるべき』が、その人にとっての条件付き愛情が与えられるときの条件、すなわち生存の許可あるいは保証の条件と感じられた場合、その『馬鹿にする』という行為は『生存の許可あるいは保証』の否定と受け取られます。

つまり、この容疑者にとってこの事件は『生存の許可あるいは保証』の否定に対する抵抗だった可能性があります。

そして、このような心理は、全ての人に多少はあります(人は、無条件の愛情と条件付きの愛情の両方を受けて育つからです)

従って、より多くの人が『自分は、条件付きの愛情よりも無条件の愛情をたくさん受けて育った』と思い、『私は、無条件に生きていてもいい』と感じるならば、犯罪は減るということになります。

では、どうすれば、多くの人がそう感じることが出来るでしょうか?

私は音楽によってそれが可能なのではないかと思います。

文脈効果といって、人には「今の気分と同じ気分の時の出来事を思い出しやすい」という傾向があります。

また、音楽には高い気分誘導効果があり、聴いている人の気分を誘導することが出来ます。

つまり、音楽によって「無条件に愛されたときの気分」に誘導すれば、無条件に愛されたときの記憶がよみがえりますので『私は無条件に生きていてもよい』と感じられ、上記のような犯罪に走る可能性が下がります。

例えば、子守歌やこどもの歌、『いたいのいたいの飛んでいけー♪』のような、メロディのある言葉を聴いて、自分が無条件に愛されたときの思い出がよみがえった人は、残酷なことをするのを躊躇することでしょう。

音楽には、犯罪を止める力があります(*^_^*)

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