『マネすることと、空想で満足すること』

暴力描写のある映像作品やゲームが話題になると、
「見た人が暴力的になる」
という意見と
「そういう衝動のある人が空想で満足するので現実世界でしなくなる」
という意見が出てきます。

どっちやねんという感じですが、どちらもありうるということが、心理学の様々な実験で確かめられています
(モデリングやカタルシスというワードで検索するとたくさん論文も見つかります)

そして、どちらの効果が出るかは、空想と現実を上手に使い分けることができるかどうかによります。

暴力的な衝動が全くないという人はおそらくいませんが、現実世界において暴力が日常的でないのは、皆さんそれを空想で発散するからです。

つまり、空想と現実の区別をしっかりつけて、空想の中で社会的に許されない衝動を処理できるならば、暴力描写のある映像作品やゲームをしても大丈夫です。

では、そういった空想と現実の使い分けはどのように身に付くのでしょうか?

幼児期のままごと遊びやごっこ遊び、児童期の空想を使った遊びで、その練習がよく観察されます(他のさまざまな経験の中でも練習します)。

幼児期や児童期のそういった遊びを観察していると、空想の世界を共有して楽しんでいたはずなのに、途中で空想と現実の区別をうまくつけられなくて喧嘩したり泣き出したりする子がいます。

そうなってしまうと楽しくないので、子供たちは遊びの中で、夢中になっても空想と現実の区別をつけられるように、自分達でルールを作ったりそれを守ったりする練習をします。

例えば、アンパンマンやプリキュアなどのヒーロー・ヒロインごっこでは、敵役の子に対して様々な攻撃のふりをしますが、

①攻撃のふりをしても相手に当てない、どうしても当てる必要のある場合は痛くないようにそっとする

②間違って当たってもいたくないように力をいれず、ゆっくり動作する(早い動きを表現する必要があるときは、相手の体に近いところで減速する)

③攻撃は「まねっこ、うそっこ」であることを、攻撃と同時に出す掛け声の大きさ(中くらい)や調子(緩やかな上がり下がり)で知らせながらする。

④たとえ「まねっこ、うそっこ」であっても、相手が嫌がったり怖がったりしたらしない

⑤ヒーロー・ヒロイン役は順番に交代して行い、現実世界の人間関係や能力を反映させない

というようなルールを自分たちで作り、それを守ります(養育者や保育者がお手伝いをすることもあります)。

そして、それができない子は、遊びの仲間に入れてもらえないという罰が与えられます(子どもの世界も結構シビアです)

また、練習をやめるとやっていたスポーツが下手になるように、大人になってからも、この練習を全くしないでいると、だんだんできなくなっていきます。そのため成長してからもこういった遊びは必要です。

言い換えると、空想と現実の使い分けが出来るようになるには、家族や、保育者、そしてたくさんのお友達とたくさん遊ぶ必要があり、しかもそれを、ある程度は一生続けなくてはなりません。


なので、最初の話に戻りますと、暴力事件を減らすためには、暴力描写のある映像作品やゲームを規制するより、子どもたち、そして大人達もたくさん遊べるような機会(できれば身体を使った遊びの機会)を設けることが大事なのです。

今、パンデミックでそのような機会が減っています。

何らかの対策をしないと、ちょっと危ないかもしれません…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?