『本当の出会い』と音楽

良く知っているはずの人の、これまで全く知らなかった面にであったとき、人は「え?、これが本性なの?本当のあなたはどんな人なの?」と思います。

この現象は心理学的には「スキーマ(図式)」で説明できます。

スキーマ(図式)とは、複雑な現実に素早く対処するために「こういうときはこうする」「こういう人に会ったらこうする」というように、これまでの経験から、あらかじめ作っておいた対処法たちです。スキーマをたくさん作っておくと、様々な現実に素早く対処できます。

ただし、スキーマを使うとき、人は目の前の現実の細かい違いは無視して、現実を単純化したカテゴリー群「こういうとき…」「こういう人…」などなど…に分類し、過去にそのカテゴリーに入った出来事や人に対してやったらうまくいった対処法を行いますので、間違うこともあります。

例えば「あれっ?過去の経験では、音楽好きな人は、とりあえずその人の好きな音楽をほめておけばうまくいったのに『全然分かってない』って怒り出したぞ?」という感じです。

そういうとき、人は自分のスキーマを少し変化させます。

この例でいうと『音楽が好きな人の中でも「その音楽が分かる自分は特別だ」というプライドを持っている人に対しては「それいいね」と軽々しく言ってはならない…』というような感じです。

そんなわけで、実は人は、ある程度経験を積んでしまって、たいていの人にだいたい問題なく対応できるようになると、ある意味「新しく誰かに出会う、新しく誰かを知る」ということは出来なくなります。

現実世界で新しく誰かに出会っても、意識を向けているのは現実世界の相手ではなく、心の中にある、新しく出会った人があてはまりそうな「こういう人」カテゴリーですし、対処がうまくいかなくてスキーマを少し変化させた場合も、それでうまくいったら、その後は「こういう人(少し変わったバージョン)」カテゴリーを通して相手を見ていて、ありのままのその人を見てません。

しかしながら、本来人間はとても複雑なものであり、一人一人に他の人とは全く違う固有の個性もあります。そして、付き合いが深く長くなると、そういった固有の個性が出てきて、今自分が持っているどのスキーマでも、あるいは、それらをちょっと変化させたものでも対応できない事態に出会ったりします。

その人と本当に出会う瞬間です。

だいたいそんなとき、人は最初びっくりして固まりますが、これまでのスキーマを使わずに、つまり全く予想がつかない中でその人と交流する中で、人と分かりあう喜びを感じることになります。

そして、そういうときはだいたい、相手も同じことを感じています。関係が深まる前の交流においては、相手もスキーマを使ってこちらに対応しており、こちらが相手を分類するときに参考にしていた相手の「こういう人」的行動は、相手のスキーマの対処法の部分です。つまり、関係が深まる前の交流は、実はお互いのスキーマを相互作用させていただけであり、お互いにスキーマが使えなくないくらい深い関係においては、自分も相手もそれが出来なくなるのです。

(ただ、二人の関係性等から、これが非対称になることもあります)

その後、本当の意味で出会った人同士はものすごく大変なぶつかり合いや、駆け引きもしながら、お互いを本当の意味で理解していきます(「こんな人とは思わなかった」と言って別れてしまうこともあります)

音楽でも同じような「本当の出会い」が起こることがあるそうです。

良く知っているはずの曲やジャンルなのに、ある日ある場所ある演奏家が奏でる音を聴いたとき「な、なんだこれ?」と固まり、これまでの経験や知識、あるいは、それらを少し変えたものでは理解できず、思わず聴くのをやめて逃げ出したくなるけれども、離れられない…ということがあると聞きます。

(私もそんな経験してみたいものだといつも思っているのですが、修行が足りないようで、まだです。)

音楽をすると「本当の出会い」の感動を味わえるかもしれません(*^▽^*)

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