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社会の大衆化・・・

20年以上ダンスやデザインやアートに関することをやってきた身として、卯城竜太さんの言っている「社会の大衆化が進んでいる」ということが、妙に腑に落ちた。

大衆とは、社会を占める「大多数の・大勢を占める」とされる人々、またはそれに属する個人を指す言葉であるというように、社会の中枢を担うものが "大多数が占めるもの" になっている。

どんなものにも、中枢を担うものには磁力のような引き寄せる力がある。何も考えずにただ立っていると、その磁力によって中枢に引き寄せられてしまう。そして、引き寄せられて中枢にタッチすると、赤だったものも青に変わる。要はみんなが一緒になる。感覚や感性やセンスも身なりも。

そのある種の収縮してきた流れに対して、近年の謎の多様性ブームは正に、この社会の大衆化した収縮してきた流れへの逆張り。

逆張りで勝つ為には、みんながバラバラの方向を向いている時に、大衆をその一方向に向かせるための爆発力が必要。その役割がアートやメディアであり、一種のプロパガンダだ。

歴史を振り返ってもプロパガンダにアートは使われてきた。大衆が各々四方八方を向いている時に、ある一方向に大衆を向かせるために。


元来人間は十人十色というように、みんなが違う感覚や感性を持っている。
「育ってきた環境が違うから、すれ違いは否めない」のがデフォルトの状態だ。

しかし、社会が大衆化することで「すれ違いは否めないじゃねーよ」という、すれ違いすらも許せない状態になっている。だから炎上したりネット叩きが横行したりする。

もちろん、デフォルトの状態は何十年たっても変わらずにデフォルトだとは思わないが、すれ違いすらも許せない状態は、逆にデフォルトを死守するような、懐古主義で進化を望む気持ちとは裏腹のことになっている。


そこでやっかいなのが、資本主義の世界では、流れに乗ったほうが利益を得られるということ。儲けている投資家が順張りを基本手法にしているのはそのことからもよく分かる。そして素人が投資で失敗している時は逆張りを狙っている時だ。

この流れに乗ることで利益を早く大きく得られるという考えがあるので、社会の大衆化はもっと進行する。


社会が大衆化しても、クリエイティブに大衆化の磁力に引き寄せられられないように、自分が行きたい方向に踏ん張りながらでもグイグイ進んでいきたい。


p.s.
Chim↑Pomはやっぱり刺激をくれる存在でした。

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