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戦国武将の死生観:大内義隆編

【大内義隆という人物】

大内氏と言われて、パッとイメージできる方は相当歴史に詳しい方だと思います。恐らく普通に生きていれば、出会うことのない一族です。今日はそういうマニアック?な一族の最後の当主の話です。

【大内氏について】
主に現在の山口県を拠点とした大名で、平安時代から続く名門中の名門。室町時代に勃発した応仁の乱でも活躍した守護大名です。室町後期の最盛期には、今の岡山県、広島県、島根県、山口県、福岡県の一部を有する日本屈指の大大大名でした。また、この時代には、中国=明に、大内家とし独自に貿易船を送るなど、衰退した室町幕府に代わり、日明貿易を独占する立場にもありました。当時の日本の中心は大内氏の拠点=山口にあった!言っても過言ではないと思います。

【そして滅亡へ。。】
この名門大内氏の第31代当主が大内義隆です。(徳川将軍は15代なので、いかに長期にわたり繁栄した家なのかはここからもよくわかります)

義隆の時代になると、近隣諸国との戦に明け暮れ徐々に国力は衰退してきます。そして、信頼していた家臣の一人=陶晴賢(すえはるかた)の裏切りにより自害に追い込まれました。

【辞世の句】
この悲運の武将=義隆が死の直前に詠んだとされる句が

「討つ人も討たるる人も諸(もろ)ともに如露亦如電応作如是観(にょろやくにょでんおうさにょぜかん)」

訳:討つ人も討たれる人も、人生は露のように、稲妻のようにはかないものだ。

最後の難しい言葉は、人の命は露のようにそして稲妻のように儚いという仏教の無常感をうたったものです。時に義隆45歳の生涯でした。

栄華を極めた義隆の人生の前半。そこから、徐々に歯車が狂いだし、最終的には信頼していた部下の裏切りにあい死に至る。

死がすぐそこに迫る中、怒りや無念、絶望、様々な感情があったと思いますが、そういうものではなく、人生・世の中を達観した言葉が出てくる、義隆の精神力。感動とか尊敬とか、そういう言葉では表せない気持ちにさせられます。

【今回のストーリーの場所】
義隆の菩提寺:龍福寺
https://www.oidemase.or.jp/tourism-information/spots/12191

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