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信長と茶道と組織論

人のやる気を促すもの

突然ですが、皆さんが働くモチベーションはなんですか?

「自己実現のため」「社会に貢献するため」といった高貴な理由もあると思いますが、最低限の条件は、「報酬」ではないでしょうか。現代社会において、この報酬の大半は「お金」ですが、中世日本においては、土地・領地でした。

武士が主君に仕えた理由

「武士」が何故自らの命をかけてまで働くのか?武士道、つまり「主君への忠義」だと考えるかもしれません。しかしそれは、近世・江戸時代以降に確立された考えで、中世、特に戦国時代においては、より強い者に従うことにより、自分の領土を保証してもらい、さらに新たな領土を報酬として与えてもらう。この点が、主君に使える最も大きな動機付けだったと思います。

「一生懸命」という言葉がありますが、これは、もともと「一"所"懸命」と言われており、文字通り、先祖代々当てられてきた土地を命がけで守り、さらに子孫に引き継いでいく、このことが武士にとって最も重要なミッションだったと考えます。

領地に代わる報酬

しかし、日本は島国であり、物理的にその領地にも限りがあります。僕は、この領地に代わり、家臣への報酬として与えられる価値ある物として「茶道と茶器」が戦国武将、とりわけ織田信長によりブランディングされたのではないかと考えています。

信長以前、室町時代の茶器といえば、中国で作られ日本に渡ってきたものが大半で、とりわけ天目茶碗などが有名です。しかし、この場合も、自国で生産できず「限りがある」という点においては、「領地」と変わりません。

曜変天目茶碗:中国・建窯で作られた天目茶碗の中でも最上位に位置づけられた茶碗。見る角度や光によって紋様が異なり、まるで宇宙に輝く星のようだと評されたことから「曜変」と名付けられた。

織田軍団と茶器

自国で簡単に生産でき、かつコストのかからない茶器。しかしそれでは、見た目の派手な唐物にはかないません。

そこで、戦国大名、とりわけ信長は、千利休ら茶人と共に「わび・さび」文化を”価値あるもの”として、プロモーションを行い、わび・さびの雰囲気を醸し出す茶道・茶器を新たな報酬の一つに組み入れたのではないかと考えています。

無論、わび・さびの元となった諸行無常の考えは以前からありましたし、茶道も、信長、利休以前からありました。ただ、絶対的な権力者である信長が、「これは価値あるものだ」と認め所望したからこそ、茶器にさらなる付加価値がつき爆発的に茶道文化が広まったのではないでしょうか。

結果的にこの”マーケティング戦略”は成功し、信長の家臣の中には、領土よりも茶器や茶会を行う権利(茶会も信長が認めた家臣しか開くことができませんでした)を求める者も出てきます。

限りある領地以外に、茶器という新たな報酬体型を確立したことにより、配下の武将のモチベーションがさらに向上し、織田軍はより強固な組織となった。そこには、信長の卓越した人心掌握術があったのではないかと考える次第です。

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