村上春樹と薄井ゆうじに書き直しの重要性をあらためて教えてもらう

こんにちは、たわら(@kentarotawara)です。

小説の物語を毎日前に進めるのに比べると「書き直し」という行為が得意ではありません。

こちらを直すとさまざまな箇所で破綻が出てしまう、それで大丈夫なのか、と思ってしまうからです。

言葉にしてしまえば、なんと浅はかな理由なのだろう、と思ってしまいます。

反省を込めて、村上春樹と薄井ゆうじの小説の書き直しの重要性について学ぶことにします。


1 村上春樹「大事なのは、書き直すという行為そのもの」


村上春樹は小説の書き直しという作業が全然苦にならないそうです。

長編小説の執筆は野球と違って、いったん書き終えたところから、また別の勝負(ゲーム)が始まります。僕に言わせてもらえれば、ここからがまさに時間のかけがいのある、おいしい部分になります(村上春樹 2016 「職業としての小説家」新潮文庫 pp155-156)

彼はなぜ「書き直し」という行為を前向きに捉えているのでしょうか。それはどんな文章にも必ず改良の余地があるということを経験から理解しているからです。

ある長編小説を執筆中にワープロの誤操作で一章まるごと失った彼は、その一章をまるまる思い出しながら書いたそうです。上手く手応えがあった章だっただけにショックは大きかったそうです。

しかし、奇遇なことに小説が刊行されてから、その失った章が別のファイルに保存されていたのを発見されました。読み比べてみると、書き直した文章の方がよくできていたそうです。その経験から村上春樹は次のように述べます。

ここで僕が言いたいのは、どんな文章だって必ず改良の余地はあるということです。本人がどんなに「よくできた」「完璧だ」と思っても、もっとよくなる可能性はそこにあるのです。だから僕は書き直しの段階においてはプライドや自負心みたいなものはできるだけ捨て去り、頭の火照りを適度に冷やすように心がけます。(上掲 pp164)

自負心なんて抱いている場合ではないのです。素人のうちはプライドなんて抱えずに、たえず改良するために机に向かう必要があるのです。

そう、なによりも書く行為自体が大切だと彼は続けます。

つまり大事なのは、書き直すという行為そのものなのです。作家が「ここをもっとうまく書き直してやろう」と決意して机の前に腰を据え、文章に手を入れる、そういう姿勢そのものが何より重要な意味を持ちます。それに比べれば「どのように書き直すか」という方向性なんて、むしろ二次的なものかもしれません。多くの場合、作家の本能や直観は、論理性の中からではなく、決意の中からより有効に引き出されます。(上掲 pp165-166)

とにかく書き直すのです。もっと物語に魅力が出るように。繰り返し文章を書き直すこと、それ自体が重要な意味を持つのです。決意すること、その大切さを忘れてはいけません。

2 薄井ゆうじ「書き上げた、そのときから本当の創作が始まるんだニャー」

薄井ゆうじという小説家をご存知でしょうか。かつて国語の教科書にも取り上げられたこともある小説家です。

「くじらの降る森」「透明な方舟」「星の感触」「イエティの伝言」「竜宮の乙姫の元結いの切りはずし」などなど魅力的なタイトルの小説を書いています。

幻想的な現実を描いていますので、ぜひ読んでみてください。あまりにも透明な文体にきっと驚き、魅了されるにちがいません。

彼が運営する小説添削サービス「小説塾」のHP「にゃんこの創作格言集」は小説に関する箴言が5つ掲載されています。追加されるたびにひとつ消えます。あるとき、次のような言葉がありました。

結末まで書き上げた。それで書き終えたと思わないでください。そこから推敲、加筆修正をしなければ、小説は完成しません。いま書き終えたものは、長いあらすじのようなものです。それに命を吹き込むのは、推敲と加筆修正の日々です。途中で諦めずに、納得のいくまで修正してください──にゃんこより

やはり書き直しの重要性を指摘しています。しかし、小説塾をはじめて受講したときにいただいたコメントには次のようなさらなる格言を個人的にいただきました。

この作品を読んだ読者に、どんな感動を与えて、どんな読後感を持ってもらいたかったのでしょうか。それこそが、この作品を評価する基準であり、もし書き直しや修正をするなら、その座標となるもののはずです。

では、ここで言葉にしてしまおう。どんな読後感を持ってもらうために小説を書くのかを。

自分自身のあり方を劇的に望ましい方向へ導く瞬間があることを伝えて、「明日もとりあえずがんばろう」と思ってもらえるような小説を書きたい。

なぜそうなのか、どんな小説なのか、についてこれ以上は語りません。それを物語にしたいのですから。

決意のもと、何度も何度も書き直し、読者を望ましい場所まで導けるように、机に向かえば、手元には全力を絞りきった小説が残る、ということです。

書き直すぞー。

読んでくださったかた、ありがとうございます。

たわら

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