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murmuring note no.13(新型コロナ禍に見る資本主義の限界とその終焉)

資本主義が、現下の新型コロナウイルスが引き起こした社会的危機に対応できないことがはっきりしつつある。感染症の蔓延がもたらす直接的被害を解決できず、間接的な被害を放置して、資本主義のキャパオーバーを招いた新自由主義の政策の敗北である。新自由主義段階の資本主義は、パンデミックの猛威に対して脆弱だったのだ。
すべての社会的活動分野の民営化すなわち利潤追求の資本主義化が、新型コロナの広範囲かつ爆発的な感染の攻撃によって、経済と人命のバランスを取ることを不可能にしたのだ。この二つが両立できないなら、前者(経済)を採れば様々な産業で働く労働者が疫病の犠牲となって減少し、後者(人命)を優先させれば労働の現場を封鎖しなければならず、経済活動は停止に追い込まれる。企業は倒産して経済は急速に衰退するだろう。
人命の破綻=死亡か、経済破綻かである。新自由主義は、どちらを選択するのだろうか? 新型コロナのパンデミックで資本主義の活動が減速し自然破壊が弱まるという現象は皮肉だが、経済の負荷が環境に確実にダメージを与えてきたことが明白になり、社会的活動を次々と資本主義に取り込んでいけば、医療、食料などの福祉や安全が確実に損なわれる。
新型コロナウイルスの災厄は、それが去った後の我々の生き方に重大な反省を迫るだろう。それは一ウイルスの邪悪な侵略ではない。地球を蔑ろにしてきた人類への地球の側からの最後通牒なのだ。新型コロナウイルスのパンデミックを機に、我々はアントロポセン時代の自然と共生する道を模索しなければならない。

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