私がコーチングに出会った話

どんな職業に携わる人にも「その仕事との出会いの瞬間」というものがあると思います。今日は、私がコーチングという職業に出会った時のことを書こうと思います。どんなに成功しているように見える人にも、当然「始まり」の瞬間があり、そこからの努力と行動の積み上げによって今の成果がある、そんなことが伝わればいいなと思います。

私は今でこそ日本におけるエグゼクティブ・コーチの権威的存在の一人として認知されていますが、2006年頃何をしていたかというと、ビジネスマンとして一旗揚げるべく脱サラして起業し、そのビジネスが軌道に乗らず絶望しかけているところでした。

その絶望さ加減といえば酷くて、先行投資してくださった知人の数千万円単位のお金を半年間で使い果たした挙句、商売は軌道に乗らず、売り上げよりも従業員の給料や家賃の金額のほうが上回る大赤字で、倒産までカウントダウンが始まっているという状態。そして、通帳にも微々たる金額、財布にも数千円、という状態で毎日なんとかやりくりしていました。そして、その知人から毎日、朝から深夜まで取り立ての電話が鳴り続け、ビクビクしながら毎日を生きていました。当時はマンションの8階に住んでいたので、ここからいつ飛び降りようか、と真剣に思い悩むような日々だったことを思い出します。

2007年を迎える頃にはいよいよ資金繰りが厳しく、私自身が生活していくために何らかの仕事を得る必要に迫られていました。そこで、周りの知人に「何か仕事ない?」とか「誰か仕事を紹介してくれる人いない?」と聞きまわった結果、オーストラリア人のアンソニーという人を知人から紹介されました。知人曰く「なんか、アンソニーは仕事を紹介できるかはわからないけど、とにかく会って話をしてもいいと言っている」ということだったので、それを早合点した私はアンソニーのことを「仕事を紹介してくれる転職エージェント」だと判断し、渋谷のセルリアンタワーまで会いに行きました。

「ヘーイ」と明るく迎えてくれたアンソニーと悲痛な表情の私のコントラスト、今思えば滑稽な図ですが、この瞬間が私の人生のターニングポイントになりました。

私は「何か仕事を!」という切迫したニーズしか無いわけですが、アンソニーは「私はコーチングという仕事をしている」といいます。(英語でしたが)それに対して私はとても失礼なことに「そんなのどうでもいいから、何か仕事を。。」と内心じれったさを感じながら、作り笑いで話を続けるような状況に陥っていました。それが私のコーチング、そしてプロのコーチとの出会いです。何がきっかけになるか、本当にわからないものです。

アンソニーは結局、仕事を紹介してくれませんでした。(当然ですが。。。)その代わりに「折角、何かの縁で出会えたんだから、コーチングセッション受けて帰りなよ」というオファーをしてくれました。私としては、なけなしの現金をはたいて電車に乗ってきたので、電車賃の元ぐらいは取ろう、というある意味低い志で、そのオファーを受けることにしました。全くコーチングというものには興味がありませんでした。

アンソニーは「今日は特にテーマとか用意してきていないと思うから、夢について語るセッションをしてみようよ、いいかな?」と口火を切りました。私は「夢ね、そうね、昔からフェラーリという車に憧れて、大人になったら1台買いたいと夢見てきた」と伝え「ただ、バブルが弾けてそういう夢も叩き潰されたし、こんな社会に絶望している」というようなことも伝えたように記憶しています。

「おお、フェラーリはいいね」とアンソニー。そして「他には?」という問いがありました。「他には。。。かぁ、もう1台フェラーリ欲しい」と私。「あとは?」とアンソニー。それに対して、最終的に物欲を満たすことが中心のリストが完成しました。「◯◯を買う」という項目が20個以上並んだリストを自分で作成したことと記憶しています。

「このリストについて、私が感じたことを言ってもいいかな?」とアンソニー。丁寧に私の承諾を取ったあとに彼の言い放った言葉は忘れ得ないものでした。「君の夢はお金で解決できることばかりなんだね、お金があればそれですべて完結していく、そういう風に感じられる」というフィードバックがありました。私はこれに対して憤慨したのですが、それは心の中の話で、表面的には冷静さを保っていました。最終的にセッションの最後でコーチングを継続するならこの金額で継続できるよ、というオファーを受けながら、セルリアンタワーを後にしたのですが、私の心の中は怒りで煮えくり返っていました。「仕事は紹介してくれないわ、あなたは守銭奴だみたいな(あくまで私の解釈)ことを言うなんて、どうかしてる」と思いながら、渋谷駅までの下り坂を歩いていたことを思い出します。

ところが、渋谷の駅まで歩く10分程度の時間で私の心境に変化が現れます。「いや待てよ、アンソニーの言っていることはかなり的を得ているのではないか、だとしたらオレの人生、ちょっと間違った方向に進んではいないだろうか」という疑問が湧いてきました。物欲を夢の中心地に見据えて生きていくことの虚しさ、みたいなことに徐々に目が向き始め、これまでの失敗も、もしかしたらここに理由があるのではないか、と危機感を抱きました。

その晩、私はアンソニーとコーチングの契約をしました。

そこからの私とアンソニーのタッグによる快進撃はまた別の機会にお話するとして、セルリアンでのアンソニーとの対話は所要40分ぐらいの短めな対話でした。しかし、それが人生を変えるような対話になる。こういうところにコーチングのポテンシャルを感じます。大きな気づきを人に促すような手法であり、仕事でもある。このコーチングに私は魅了され、プロとして独立開業する道を進むことになります。


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