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私が商業出版を3回経験してわかった7つのこと

皆さん、こんにちは。
リーダー育成家&著者の林健太郎です。

この記事を書いているのは2022年12月10日なのですが、昨日(12/9)私の3作目の著書、否定しない習慣(フォレスト出版)が発売になりました。
1作目のできる上司は会話が9割(三笠書房)の発売が昨年の3月でしたので、この2年弱で3冊の本を執筆して出版するという、新人著者としてはかなり速いスピード感で出版を実現させてのではないかと自負しております。

私自身は昨日の発売日というお祭りが終わって少しホッとしているところなんですが、このタイミングで私の出版体験を振り返ってみようかなと思います。ぜひ、否定しない習慣(フォレスト出版)をお読みの方は、この記事を読む前に読了いただいてから、こちらの記事をお読みいただければと思います😅

ということで、ここに目次が表示されると思うのですが、これが商業出版をしてみてわかった7つのことだったりします。

とにかく楽しい!

本を書く。そして、それを商業出版として出版するという体験を一言で言うと楽しい!ということに尽きます。

と書くと「林さんもう少し詳しく」と読者の皆さんから突っ込まれると思うので、詳しく書くと、自分の思っていることや経験してきたことを自由に書いて良い!というのが基本的な出版のポイントであり、著者の権利だと思うんです。

つまり、誰にも邪魔されずに自分の意見や論調を展開できるというのが私の「楽しい」ポイントだったりします。

コーチングや企業研修という仕事は、お客様からのオーダーがあって初めて成立するお仕事ですので、私が好き勝手にコーチングやティーチングをするというよりは、お客様がお持ちの課題や目指す目的に合わせてカスタマイズして作ります。
つまり、お客様のご意向に沿ったお仕事ということですね。
それはそれで楽しいのですが、執筆の場合は、私が著者として強い主張を表現することから始まるので、そもそものコンセプトが違います。

ま、とはいえ、商業出版は自費出版と異なり、多くの方が関わって完成させるものであり、たくさんの方の目に触れるものになるので、完全に自由に書けるわけではないのですが、それでも上に書いた通り、出発点が他の仕事と異なるので、表現をする喜びに溢れていると言えます。

2作目の『優れたリーダーは、なぜ「傾聴力」を磨くのか?』(三笠書房)を書いている時なんかは、執筆している途中で自分の言っている主張がよくわからなくなってしまい、「自分の主張しようとしていることはもしかして間違っているのではないか」と自分の主張に疑念を抱くような瞬間もありまして、その瞬間は全部投げ出したくなったりもするのですが、それを乗り越えて、メソッドが完成したり、読者さんが納得できるような表現方法を思いついた時の喜びがあれば、その苦労は厭わずに進めるなと思っています。

ここ、著者さんによってはとても苦しいことなのかもしれないですが、私としてはとても楽しいプロセスだったりしました。

発売日はいつもヒマ

これは3作通して共通の経験なんですが、著者にとっての発売日はとにかくヒマな一日なんです。おそらく信じてもらえないと思いますが。。

先日、知り合いの書店販売員の方がおっしゃっていたこと→「新しい本の発売はお祭りですから、林さんの本も盛り上げますよ〜!」とおっしゃっていたので、本屋さん的にはお祭りなんだなぁ、と感じたものの、私にとっての発売日は結構無風というか、放置される感じなんです。
3回経験して、3回とも同じなので、私にとっての発売日はこんな感じなんだなと自己理解が深まっております。

うん、なんとなく、放置プレイな感じなんです。
本って最終的に、原稿があって、それを印刷屋さんが印刷して製本して、出版社さんが書店さんや取次店さんに営業して、倉庫から書店に配本されて店頭に並ぶというプロセスが、私に執筆後に起きないと、皆さんの手に渡らないですよね。
そういう意味では、店頭に本が実際に並ぶ数ヶ月前には、私の執筆作業は終了していて、表紙のデザインをチェックしたり、といった細やかな作業以外はあまり仕事がない状態で発売を待つわけです。
その時点で、意外とヒマだったりしてます。

そして、発売日を迎えると、当然書店さんに本が並ぶので、それを見に行くことはするのですが、決まった発売日に本が書店の棚に並ぶのは、ビジネス的には当然のことなので、実質それを確認するだけなんです。

書店の方に声をかけることも基本的にはご迷惑になっちゃいそうであまりできなくて、お声をかけても「どうもありがとうございます」といったお礼を交わすぐらいなので、そんなに喜び合うムードにはなりません。

そりゃそうだ、本屋さんには毎日たくさんの新刊があって、それを並べていくのがお仕事で、その1冊1冊の本には著者という人が存在して、その著者は多分本屋さんにこうやって確認に来てはご挨拶をする。

だとしたら、私が思っているほど特別なことではないので、それを強要することでもないなと、心で喜びながらちょっと寂しい気持ちで書店を後にするような日が発売日だったりします。

そして、周りのお友達や生徒さんやお取引先さんやファンの方も、この発売日に本を手にしてくださるわけだから、まず「読む」の専念すると思うのよね。そうすると、著者の私に「読んだよ〜」と声をかけてくださるのは数日後になるので、意外とフィードバックをもらえない空白の日だったりするのです。
この日の寂しさ、どなたか著者さんと共有したいなぁ。。

自分の本は全部読まない

これも3作とも同じなので、私の傾向なんだと思うのですが、実際に書店で手に取る本として完成した著書を私は完読したことがありません

ざっと仕上がりを確認するために斜め読みしたり、最後まで気にかかっている箇所だけを確認のために読んだりすることはあっても、最初から最後まで1冊の本として読書するということは実際今までの3冊でやったことがないんです。

というのも、実際に執筆の時点で何度も何度も読んでいるので、全く新鮮味のある文章として頭に入ってこないので、読む気になれないというのが正直なところです。

そういう意味で、本を題材にしたインタビューを受けるときや記事を書きたいときなどにピンポイントで参照する程度のことしかしないな、というのが実際のところだったりします。

これ、私だけなのかなぁ。。

最初の目次作りで本の質はほぼ決まってしまう

本を書いたことがない人はきっと、250ページ程度の大量の文字量をどうやって執筆するんだろう?とお思いのことかと思います。
私も、執筆活動をする前までは、超能力者にしかできない仕事だと思っていました。

第1作を書くにあたっては、プロデュースしてくださるコーチのような存在の方がいらしたのですが、その方のご指南で私は目次案をとにかく詳細にきっちり仕上げるということの大切さを教わりました。

私の知り合いの著者さんは「書いている途中で方向性を見失っちゃた」とか「途中でネタが切れた」みたいなことを言う人もいるのですが、きっとその方は目次案の具体性や詳細の作り込みが甘かったのではないかなと勘ぐったりしています。

ここ、ポイントで、書きながら論調を整えていくことや、書きながらバランスを見てコンテンツを足していくということは意外に難しいのではないかなと思っています。
逆に、ページが足りなくて項目を削除するぐらいの分量で執筆できるような状態にしておいた方が安全だったりします。
つまり「余る前提 or カットする前提」でコンテンツは多めに準備しておくのが大切ということ。

これができていると、書いている中でとある項目の論調が定まらなかったり、筆が進まなくなることも当然あるので、その時に該当する項目を削除してもページ数的に足りる、あるいは、読者さんが読みたいと思う情報量を満たしている、ということになるので、あまり執筆が始まってから慌てるということがないように思います。

ですので、私の場合は目次案の作成に特に時間をかけるので、実際の執筆が始まってから慌てるということがとても少ないのではないかと感じています。

エゴサーチをしてはいけない

出版をすると、時折メディアさまに紹介記事を掲載していただける、というありがたい機会があるのですが、そういった記事の中には、読者の方がコメントを投稿できるようなメディアさんもあったりします。

ある時、そこにどんなことが書かれているのだろうか?とコメントを読みたくなって、ついうっかり読んでしまった日があるのですが、その晩はとにかく胸騒ぎが止まらず、寝られなくなったのを鮮明に覚えています。

「この著者は何もわかっていない」
「そんな簡単なやり方で変わったら苦労しねーよ」
「事例が嘘くさい」

などなど、まぁ若干殺意を覚えるぐらいひどい言葉のオンパレードだったことがありまして。。
あ、これは見てはいけないやつだ。。と悟ったという日がありました。

数万部、数十万部と売り伸ばしていく商業出版の本ですので、当然たくさんの方の目に触れていきます。その中には、同意してくださる人もいらっしゃれば、そうではない方も当然いらっしゃるという当たり前の事実をこんな体験から知り、私は多様性ということを真正面から受け入れなくてはいけないなと思ったわけですが、それと同時に「見ない」という選択肢があるということも強く意識しなくてはいけないなと思ったりしました。

そこから、ほとんど自分の本のエゴサーチをやらなくなりました。

教えてもらえると嬉しい

これは、上の項目の関連していますが、そういう意味では、私はレビューなど読者の皆さんのコメントをあまり取りに行かないようにしているので、ぜひ読後の感想を教えてくださると嬉しいなと思っています。

「買ったよ!」を教えてくださる方と「この本屋さんに置いてあったよ」を教えてくださる方はたくさんいらっしゃるのですが、「読んだよ〜」をお聞きする機会が実は猛烈に少ないといのは、過去3作共通のことだったりして、ちょっと寂しいのよね、実際のところ。
私の本は皆さんのお役に立てているのかしら?
ぜひ教えてくださいませ。

名刺がわりになる

そして最後にこのお話。
ビジネス書の商業出版の場合、おおよそ売れそうな冊数は決まっています。最近は3万部という部数がベンチマークとされることが多いのですが、そこに届かすこと、意外とハードルが高いなというのが正直な印象。

これも1冊目が発売になってしばらくしてからの話ですが、もうかれこれ5年は連絡を取り合っていなかった知り合いの社長さんがいきなり電話してこられて「儲かってますね〜」と開口一番言ってこられたのが印象に残っています。
「そうですね」とも「いえいえ」とも言いにくく、思わず口籠もってしまいましたが、実売3万部以下がなんとなくのリアルだということで考えると、いくら印税の率が良くても家は建たない。。かな。
めちゃくちゃメガヒットするコンテンツを除けば。

というわけで、私がビジネス書を執筆する理由は利益ではないんですよね。
それより何より、本を出しているという信用の方が私にとってのメリットは大きいんです。

最近では、本当に名刺を出す代わりに本をお渡しする、ということが増えてきましたし、どんなお仕事をされているんですか?と問われて「コーチです」と答える頻度は減る一方で、「著者です」とお伝えして、最初に興味を持ってもらうということの方が圧倒的に増えました。
これでアイスブレイクできるし、信頼を得ることができるので、とにかく人とお会いしてお話しする時にドキドキすることがなくなりました。

それに、既にお取引のある企業さまや個人のお客様も、本を出している専門家からサービス提供されているというのはとても誇らしいことのようで、人に紹介していただけることも増えているような気がします。

そして、本を手渡しして目の前でサインを入れるようなことを喜んでくださる方も多くて、みんながハッピーになれるし、より近い距離で繋がれるということにも大きな喜びを感じています。

ということで、この記事が何の足しになるのかはちょっとわからないですが、今日の私が感じていることをまとめてみました。
これから本を書きたい人の参考になったりしていたとしたら嬉しいなと思いつつ、まずは最後までお読みいただいたことに深く感謝させてください。
いつも長い記事をお読みいただき、本当にどうもありがとうございます。

敢えてここに本のAmazonURLなどを掲載するのは控えますので、もし気になった方は検索の上ご購入いただき、読後の感想など教えてくださいますと大変嬉しく思います。

ということで、今日も最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。
また次の記事でお会いしましょう。



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