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新宿の片隅で七夕に

7月に入り、日本列島はうだるような暑さが続く。
灼熱の太陽をなるべく避けつつ、僕は今週末に行われる試合に向けて減量と調整をしていた。7月初日で体重は66kgほど。6日までに62.5kgへと落とさなければならない。
過去最軽量の契約体重に合わせ、長いこと食事制限を続けて過去一と言ってもいいくらい身体は絞れていた。
この時期になると格闘系YouTubeで有名選手の減量の様子をつい見まくる。個人差があるのは当然だと頭では理解しているのに情報に振り回されて混乱してしまうのはあるあるだろうか。しかし結局は自分なりにやるしかないので、人の真似をしても仕方がないのだ。

先月までの様子はこちら

格闘技の計量は試合の前日に行われる。
試合まで1日の猶予があるため、一時的な脱水で計量をパスしてすぐさま水分補給して体重を戻す『水抜き』と呼ばれるリカバリー方法が格闘技界で近年トレンドになっている減量方法だ。
なので実際には試合時の体重は契約体重より大幅に増えている選手がほとんどなのが実態だ。
「だったら計量する意味なくね?」と格闘技を知らない人なら誰でも思うだろう。その通りだ。
水抜きというのはルールの穴をついた小細工だと思うし、僕の美学に反するものでもある。しかし格闘家が苦しんで1日で数kgの水抜きをする様子を映した動画はよく再生され、格闘技の過酷さを伝えて格闘家に対する尊敬心を呼び起こすような潮流があるのか、格闘系YouTubeの人気コンテンツになっている。

「美学に反するから俺はしねえ」と信念を貫く強さが僕にあればいいのだが、あと3kg弱がなかなか落ちず、また上手にリカバリーできれば有効な手段であることから、結局は僕も最後は計量前日の夜にサウナへ行って汗を流して体重を落とした。なんなら水抜き方法を念入りに調べて塩分の調整やら水分摂取のタイミングやら、理論派を謳う人間なだけあって緻密な計算をして実行した。
夜8時過ぎになると近所のスーパー銭湯に行き、体重計に乗ってみると65.1kg。1セット毎に体重計に乗り、計4セットサウナに入って63.4kgまで落とした。残り900gなら寝て起きれば明日の計量時間までには代謝で落ちるだろう。

7月5日18時47分
水抜き前で65.1kg
7月5日23時03分
水抜き終了63.4kg

顔つきが違うのがわかると思う。
鏡と家が汚いのは放っておいて(笑)

前回も言った通り僕はルール上での強さに対する興味を最近は失ってきているし、自分の年齢と実力からは競技での輝かしい未来を想像することはとてもできない。もっと内的で純粋な身体に惹かれて、生命の起源や人類の進化史を系譜にするような社会規範に寄らない強さを求めている。しかし本番がない世界で思考だけを突き詰めても熱量は少なく、試合という身を切るような舞台に立つことの意義を感じてもいる。
試合が迫れば美学に蓋をして勝つ方策を考えて実行に移してしまうのは僕の弱さだろうか、それとも強さだろうか、はたまた人間としての社会性なのだろうか。

***

計量当日。
予想通り代謝で体重が落ちて、家を出る頃には残り300gになっていた。これなら会場に向かう間に落ちることは経験上わかる。
この日も太陽は容赦なく照りつけ、列島は各地で猛暑日を記録した。歩いていると身体は汗ばみ、これならもう少しオーバーしていても着く頃には落ちてるだろうと思った。
会場に着くとすぐに計量が行われた。体重は規定体重より50g軽い62.45kg。ほぼピッタリだ。

62.45kg
ここ数年で一番軽い体重になる

契約体重を律儀に守るためにキチンと減量して試合を成立させることは格闘技をする上での大前提だ。
近年は減量方法として水抜きがメジャー化したことも影響して計量失敗が相次ぎ、試合中止やハンデ戦に変更される事態が頻発していることは格闘技界の大きな問題になっている。しかしそれでも選手の多くは体重を落とせるギリギリの階級まで下げて試合をする。
「それが強さを求める姿といえるのか?」と大きな疑問が残るのだが、部外者ではない僕としては格闘技における体重差の大きさは肌で感じるところでもあり、そんなもん関係ねえよと無差別級で闘うような度胸はない。
仮に美学を貫いて無差別級で闘っていたら僕は呆気なく壊されてしまい、今だに闘い続けられている健康を保つことはできていないだろう。しかしヘビー級に憧れて格闘技を始めた身としては重量級の方が強いという意識は抜けず、軽量級の試合を見てもワクワクすることは少ないのも本音だ。
僕が格闘技に求めるものは競技の上での強さか、洗練された技巧による身体芸術か、あるいは生物的な強さか。見るのもやるのも色々な価値観がごっちゃ混ぜになって一つの答えに絞れない。
ただ全部含めて、ここまで考えるのは格闘技が好きだからなんだろう。個々人が抱く理想の強さも、ルールによって統一化されなければ発展はない。感情や思念が言語化によって抽象的な部分が削ぎ落とされ画一化されることの暴力性と、しかしそれによって初めて生まれる他者との共感性の間に上手く折り合いをつけることが社会の中で個として生きるために大切なのと同じように、僕は格闘技という具象を通して抽象的な自己実現に近づこうとしているのかもしれない。それとも、それも結局は惰性と習慣によるものだろうか。

計量を終えるとすぐに水分補給をする。経口補水液を少しずつ口に含ませ、胃を慣らした後に消化に良い食事を徐々に摂っていく。
「病人じゃないんだから」と不自然な感じもするが、減量後の身体にとってこの計算はとても大切で無視はできない。競技で勝とうとする選手の熱量の大きさはそこに確かにある。
計量後に公開計量を行い、相手選手と初めて顔を合わせた。昨日今日会ったばかりの何の恨みもない人間と殺意を込めて闘うんだから、格闘技の世界はやはり普通じゃないよね。
それからレフェリーによるルール説明があり解散となった。

家に帰るとご飯を食べる。
ご飯のお供は梅干し、納豆、とろろ。焼肉やうなぎを食べる選手も多いけど僕は菜食者だからね。
計量後に何を食べようか考えてつい買いすぎてしまうのもきっとあるあるだ。お餅やフルーツやお粥も買っておいたけど結局食べなかった。試合前のために買っておいた胃に優しい食事は、試合が終わった今後のご飯にしていこう。きっとまだ胃も疲れているからね。
明日のことを考えて眠りについた。

***

試合当日。
今回は昼から試合ということで朝のうちに家を出た。会場に着くとリングチェックとして開会前のリングに上がり感触を確かめる。
体調が良いのか悪いのかはわからない。ただもうやるしかないのだ。11時30分から第1試合開始となっていた。僕はセミファイナルの14試合目だから、試合時間は1時過ぎだろうか。
試合の時間から逆算してウォーミングアップを始める。少しずつ緊張感が高まる。怖い。逃げ出したい。
僕はボクシングを中学生の頃から20年弱、引退したのち、それから30過ぎてキックボクシングを始めている。胸に迫るのはボクシングをしていた時とは別種の恐怖。自分の足りない部分が大きく見えるからこその何もできずにやられたらどうしようという思い。界隈でも立ち技の選手がMMAに転向して辛酸を舐める結果が続いているが、不慣れなルールに挑むことは自分のやってきたことを出せれば勝てるという自信を作れない恐怖がある。
といっても僕もキックを始めてもうすぐ3年になるんだけど、いかんせん運動音痴なもので上達は牛歩の歩みだ。それどころか中途半端に慣れてしまい、キックの怖さを知ったことで逆に思い切りの良さが影を潜めて弱体化していると指摘されれば否めない。知り合いには良さが無くなってると言われた。
しかし今回こそはなんとしても勝ちたい。

試合が進行していくにつれ、段々と緊張が増していく。日頃の覚悟や信念を一笑に付されるように圧倒的な恐怖を感じる。これが本番なのだろう。舞台に立たなければ味わえない感覚だ。
環境問題を考えるとき、動物愛護を考えるとき、あるいは政治や経済や世界平和について考えるときに、これほどの緊迫感を持ったことはなかった。どれだけ高尚な言葉を用いても、正義の理論を振り翳しても、お前の思想にはリアリティがないのだと突きつけられるように目の前に迫る試合の緊張感が押し寄せてきた。
自己を生きるしかないのだという現実と、卑小な存在である自分自身とを嫌でも思い知らされる。
この、己の卑小さを知る手段になるということが本番の舞台に立つ価値だと思う。紛争地帯に埋まる地雷よりも靴に入った小石を取り除くことばかり考えてしまう自己という枠組みを超えられない現実感が、遠くに巡らせた思想を引き戻して地に足つけたものにしてくれるはずだ。
人類で初めて月に降り立ったとされるニール・アームストロングは「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」と名言を残したが、その反対に本番の緊張感は一人の人間は小さな一歩しか歩めないのだという現実を突きつけ、夢見がちな僕にとってはいい薬になっている。
そこにはある種の陶酔と心地良さがある。

先週受けた最上先生の原初舞踏を思い出す。
試合前には『存立宣言』として「我はここに在り」と心の中で唱えながら控室の通路を一歩一歩進んだ。ゆっくりと呼吸を確かめる。後ろは大海原、目の前には遥かなる地平線をイメージしながら腹を括る覚悟を作っていく。
そして、一つ前の試合が終わった。

***

「青コーナーより遠藤健太郎選手の入場です!」
コールが響くと欅坂46『サイレントマジョリティー』が会場内に流れ出した。よし、行くぞ。

リングに上がるといつものルーティンで一周する。入場曲が変わり、赤コーナーから相手が入ってくるのを身体を動かしながら待った。
両者がリングに上がるとアナウンサーに選手コールをされる。リング中央で相手と向き合ってレフェリーから簡易的なルール説明を聞き、コーナーに戻った。

カーーーン。会場内に金属音が鳴り響いた。

1ラウンド、僕は蹴りの距離で闘わずに詰めてパンチを打っていく作戦に出た。というかそれしかない。
しかし力みまくってパンチが大振りになる。いくつか当たるがそれでは倒せない。序盤はパンチで追い詰めるが、距離ができるとやはり蹴られる。左ミドル、インロー、三日月蹴りと相手は打ち分けるのが上手くなかなか捌けない。
三日月蹴りが腹に刺さって効いた。動画を見てないからわからないが、序盤は取って終盤は取られただろうか。

2ラウンド、ペースダウンすると相手の距離にいる時間が増えていく。離れては前蹴りや三日月蹴り、近づいては膝蹴りを食らう。パンチを返すがあまり強く当たらない。全体的に力み過ぎだ。途中で相手選手に抱え込んでの攻撃による減点が出されていた。まあ判定は考えていなかったから関係ない。
膝蹴りを出されて腹が効いて丸まって手が出なくなると、スタンディングダウンを取られる。
マジかよ。仕方ない、カウント8まで休むか。立っているから止められないと思っていたが、そのままカウントが続き止められてしまった。
「え!?」
「ファイティングポーズ取らないとダメ」
「いや言ってよ」
……そういや前日に言ってたっけ。
続行できるか聞かれると思って待っていた。何を言っても後の祭りだから何も言うまい。続けていれば逆転できたとも特に思わない。2ラウンドKO負け。ここのところ負けてばっかだ。

闘争心も失ってきてしまったのかなぁ。
正直に白状すると、何がなんでも勝ってやるという気持ちがどこか足りなかった。ダラダラ我慢してないで必死に打ち返さないといけないのに強気に攻められなかった。元々気が弱いのは重々承知していたけど、それを補ってきた決意が前より薄れているのかもしれない。
歳を重ねて物事をよく俯瞰できるようになったと思うが、裏を返せば執着心の陰りにもなっているのか。
昨日は酷く落ち込んでいたが、今は少し落ち着いた。まあしゃーない。
これでまた今後のことを今言えば引退詐欺を繰り返すことになるのは必至だから先のことは先送りしよう。
ただ、試合前の緊張感だけは嘘じゃなかった。あの感覚は本番を経験しないと得られない。頭でっかち人間の僕にはとてもいい薬になる。
とりあえず無事です。死ななくてよかった。応援してくれた方々、本当にありがとうございました。

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