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どうして本を読むのですか。

あまりにも普遍的なテーマに首を突っ込んでしまった。

いたずらにアナログ回帰を提唱するつもりはない。テクノロジーは素晴らしい。こうして無名の自分が、インターネットで意見できるのもテクノロジーのおかげだ。昭和ならガリ版を手配りするしかない。それはそれで楽しそうだけど。

標題の件、色々と人に聞いたり調べたりしている。こういう記事もあったが、全然腹落ちしない。観念的だからだ。

ビジネス的な観点というか実利的な理由ばかり羅列されても、いまひとつしっくりこない。もっとこう、人間が人間としてあるべき姿の助力となるような強烈な理由が欲しい。これほどまでに本を読んでいるのに、そこが理解できていなかったことに愕然としている。

偶然にも一年前の今日、六本木の文喫について紹介した記事が公開されていた。恐縮ながら最後に自分が筆を執った記事だった。何か因果を感じる。

図書館には必ず存在する「返却棚」が文喫にもある。(中略)この返却棚を見ていると、人の趣味嗜好を垣間みることができるようで面白い。(中略)数分前にその書籍を手にしていた見知らぬ誰かの意識と、自分の意識が接続され拡張していく。そんな感覚が新鮮で楽しかったりする。
丁寧に暮らす。いつしか喧伝されたそのフレーズにファッショナブルな感覚で飛びついた人もいるだろう。丁寧とは日常から無意識の行為を減らし、意識ある行為を増やすことなのではないかと思う。そしてテクノロジーの隆盛に伴い様々なサービスが標準化・均質化されつつある今、それらに食傷気味となった人々の興味や関心が「わざわざ手間のかかること」にシフトしているのを、確かにこの肌で感じる。
ガイドに案内され決められた時間通りに観光名所を巡る旅。不慣れな場所で自ら判断し行動する労力やリスクを排除することで、快適で安全な時間が約束される。しかしそこには偶発性という要素も同時に排除されているという事実もある。本当の旅の醍醐味は、ガイドマップには載っていない路地裏に隠されている。

なんだか少しだけ良いことを言っている気がした。同じ自分だとは思えない。この1年間、何をしていたのだろう。という自省はさておき、もう少しだけ紙の本が何者であるかを考えてみる。ご意見募集しています、コメントお待ちしております。今週もありがとうございました。

読書好きが高じて書くことも好きになりました。Instagramのアカウントは、kentaro7826 です。引き続きよろしくお願い申し上げます。