respect for something/others

たぶん10年にはならないだろうが、
かなり以前のTED×Kyoto

https://www.youtube.com/embed/8mAPA3YKC_A?feature=oembed

とTED×Tohoku

https://www.youtube.com/embed/YHzoGWjcLRg?feature=oembed

にて感銘を受けた僧侶の方がいる。

宗教って何だろう?ガキの頃からの悩みであった。
今や(新興宗教が)社会問題にもなっている。
二人の僧侶の方は否定せず""説教""してくれた。

実は新興宗教二世である。正しくは三世。
ガキの頃からその教え(≒親の教育)に従っていた。
その教団は凶暴ではなく、搾取されることもなく、歌い、踊り、
宗教の本質を理解出来るものであった。

その本部道場と呼ばれる拠点も信者が自らセメントを練り労働奉仕して築きあげたという。
華美な装飾はなく、コンクリート打ち放しのミッドセンチュリー的でシンプルなもの。
まぁシンボリックなものや教祖を崇めるモノがあるのは当然だが。

吾が父親との確執の原因はここにある。

祖父はその宗教の伝播拠点となるよう、
久慈に大きな総青森ヒバの屋敷を作った。

父親は親譲りでその宗教哲学に感銘したはずだ。
兄弟にも信仰させたが、結局本家を継いだ三男はその宗教を離脱し、
それ以前の墓守(地域コミュニティ)に専念した。

吾も高校まで我慢したが、
実は我が家の教育の根幹であったその宗教哲学を無視し続ける
父親の素行に不信感が増し、
嫌悪感が最低ライン45°を正確に保つ比例線であった。

更にその宗教の方法で闘病後の母親を見送ったのだが、その時/後の父親の行動が更に増長させた。

その宗教は靖国神社の真裏に簡素なビルの形で東京の拠点を構え、
教祖の生誕日は元日、没日は12月28日、教団設立は終戦の1945年。
日本古来の祝詞や経の素朴な語句を並べた経典など、
貧しい国民を翻弄させ、
国家神道破綻後に「迷える子羊を」吸収したイカニモ系で。

更に比例選出の政治家北村つねお氏(教祖の孫)の100㌫支持母体であり、
ふぅ~ん、ふぅ~~ん、へぇ〜新興宗教って
やっぱり政(まつりごと)に接近して権力にすがるんだァって、
aroundで社会問題と同一項として判断し、
父親起源で更に嫌悪感マシマシなのである。

◇◇

社会問題となっている事象や吾の過去は置いておいて、
冒頭の僧侶の方は宗派は違えど同じ事を説いている。
実は吾はそれが宗教の本質と思っているのである。
言いたいこと、許せないこと、直して欲しいこと、色々あるけれど、
全て前述の僧侶の説教で解釈出来たのである。

◇◇

吾はクリスチャンでは無い。
社寺巡礼者/巡拝者である。

初回四国を廻り、春の彼岸に結願し初夏に満願した時は
すごろくのゴールのような感覚であったが、
その2ヶ月後に父親から引導を渡されたのである(自営業で社格を持ち雇い人も相当数いた)。

反逆する事よりも開放される喜びが大きかった。
父親の断腸の思いは全く感じず、コレが運命なのだと受け入れた。

お四国での苦しみと有難い施しを知ったからだろう。
しかし貯金も尽きたその半年後には、
多額の負債を抱え、路頭に迷ったが、
お大師様(弘法大師/空海氏)を崇める企業に転職できたのである。

突飛な話だが、
父は吾の所有するあらゆる権利を血族ということだけを銀行に伝え、
ゆえに融資を受けて搾取して土地を所有し築30年超のボロ屋敷に住まわせた。
結果吾の人生は借入すら出来ず「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」なのである。

◇◇

基本的な可処分所得や与信が欲しいのである。
それを奪った父親への憎悪は
宗教観以前に何にも変え難く、前述如く解決することは無い。

本家を継ぐキミの弟が鬼籍に入った時に吾の携帯電話を鳴らしたね。
吾はキミの嫌いな三男の嫁さん含め、そのファミリーが好きだから
向かったのね。


知りたいのなら吾よりも先に行くべきで。
「尊重」と言う言葉を君はまず先に知り、深く理解すべきだ。
それを理解しない限り吾の永久凍土は溶けない。



【リライト後談/2023.5.5記】
2022年5月は墓地移転させた本家の墓参に久慈へ向かった。
本音は叔父に会いたかったのだ。

ガキの頃は同居同然で、朝食後に無精ひげで頬ずりされながら
いってらしゃいと言い、ランドセルを背負っていた。
兄貴が欲しいと思うきっかけだったと思う。
春は山菜を取りに山へ、夏になれば鮎釣りで川へ連れて行ってくれ、
いつも傍にいた彼。
結婚して転居してからもその嫁さんとは仲が良く姐さんって感じだった。

吾の母親の命日は4月19日。
2022年のその日に墓参してもいいかな?
と叔父の後を継ぐ墓守に連絡を取っていた。

叔母もその子たちも歓迎してくれ
墓参はできたのだが、
その3か月後、入院闘病中の叔父が鬼籍に入ったことを知らされる

5月の叔母の言葉は忘れないよ。
介護の覚悟をしていたんだ。

そして気づくのが命の連鎖と魂の繋がり。


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