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『スマート・イナフ・シティ』 訳者あとがきを全文公開します

8月に訳書を出版しました

ご無沙汰しております。中村です。noteでは報告が遅れたんですが、今年の8月に初めての翻訳書となる『スマート・イナフ・シティ──テクノロジーは都市の未来を取り戻すために』が出版されました。大学の先輩で、現在MIT Media Labに所属されている酒井康史さんとの共訳です。

特設サイトを作りました

出版から2ヶ月、いくつかオンラインイベントをやったり、twitterでクチコミも見れられるようになってきたので、それらをまとめた特設サイトを作りました。今後も随時更新予定です。制作にあたってはNext.jsというのを使ってみたんですが非常に便利でした。ページ末尾に問い合わせフォームもつけておいたので、訳者チームへの仕事の依頼等がもしあれば、まずはお気軽にご連絡ください。(講演とか?)

なお書影は大学の同期で写真家のRyo Yoshiyaに撮ってもらったものです。彼はtohjiRalphCYBER RUIなんかも撮ってるので要チェックです。Toyosu Marketを撮った作品もイイです。

話が逸れました。本題ですが、出版社に話を通して、訳者あとがきの全文も公開できることになりました(祝)。特設サイトにも載せているんですが、こちらにも貼っておきます。書籍と違って幾つかリンクを貼ったので、ある意味増補版です。7分ほどで読めるので、よかったら読んでください。

訳者あとがき全文公開

それではどうぞ。

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本書は2019年に出版されたThe Smart Enough City: Putting Technology in Its Place to Reclaim Our Urban Future (MIT Press、 2019.)の全訳である。

原著の出版から本書の訳出までの3年間の間にも、スマート・シティを取り巻く環境は変化を続けている。本書でも取り上げられている、カナダのトロント市におけるスマート・シティ計画、サイドウォーク・トロント(Sidewalk Toronto)で起きた一件について、ここで触れないわけにはいかないだろう。新型コロナウィルスの流行からしばらくの時間がたった2020年5月、同プロジェクトの中核を担っていたスマート・シティ企業、サイドウォーク・ラボ(Sidewalk Labs)が、突如プロジェクトからの撤退を表明したのだ。同社CEOのダン・ドクトロフは、「世界経済やトロント市の不動産市場が不安定になったことで、計画通りにプロジェクトを実現することが財政的に困難になった」と説明している。かのGoogleの兄弟会社が肝煎りで手がけるスマート・シティ計画として世界中の関心を集めた同プロジェクトであったが、その幕引きはあまりにあっけないものであった。

サイドウォーク・トロントは、域内に配備された無数のセンサー群を用いてリアルタイムに情報を収集し、都市行政に反映してゆくという野心的な目標を掲げていた。プロジェクト発足の当初から、そうした計画がトロント市民の強い反対にあっていたことは本書でも言及されている。ではトロント市民は今回の顛末をどのように受け止めたのだろうか。サイドウォーク・トロントに対する抗議団体のひとつ、ブロック・サイドウォーク(#BlockSidewalk)は、サイドウォーク・ラボの撤退を受けて発表したブログ記事において次のように述べている。「(サイドウォーク・トロントに関する)取り組みは、トロント市にとって高くつく結果となった。サイドウォーク・ラボの提案を受け入れるために公共機関は推定1600万ドルを費やした。さらに市民やコミュニティの膨大な時間という機会費用が、同社の提案や行き過ぎた行為に対して費やされたのである。」手厳しい評価である。しかし注目すべきは、これに続く一文の方だろう。「他方でポジティブな成果もあった。公共領域におけるテクノロジーの使用に関する規制の整備を本格的に開始するよう、行政に働きかけることができたのだ。」同プロジェクトの失敗という出来事が、図らずも都市空間におけるテクノロジー活用に関する行政との議論を前進させるという結果をもたらしたのである。(公共領域に対するテクノロジー規制の取り組みについては、本書の第五章でニューヨーク市やシアトル市における事例が言及されている。あわせて参照されたい。)

トロント市は、スマート・シティ関連技術のための規制緩和というトピックを超えて、自分達にとって望ましい都市のために必要なテクノロジー規制のあり方へと議論を進めている。これこそ、著者のベン・グリーンが示そうとした「スマート・イナフ・シティ(十分スマートな都市)」のあり方へと向かう、ひとつの理想的な道筋だといえるだろう。技術中心主義的なものの見方を「テック・ゴーグル」と呼ぶ彼は、いかにそれが我々の社会に深く根付いているのか、特に技術者の思考パターンを強く既定しているのかを示しながら、都市の課題を技術的に「解決」しようとする態度が孕む問題について何度も訴える。技術中心主義的なスマート・シティのあり方を退けること、代わりに都市行政におけるテクノロジー活用のあり方を市民が主体的に選びとることの重要性を繰り返し強調するのだ。ゆえにこそ、トロント市のように「テック・ゴーグルを捨てる」ことが第一に必要となるのである。我々がテクノロジーという言葉に対して連想する「スマートな」イメージは、彼が本書で取り上げるスマート・シティの失敗例──犯罪予測という耳慣れないトピックから、自動運転のための交通計画まで──と、スマート・イナフ・シティのための地道な取り組み──都市行政の目的を市民やコミュニティと丁寧にすり合わせてゆく活動の数々──によって、徹底的に塗り替えられてゆく。テクノロジーそれ自体を過信すること、特に都市という複雑な領域に対してテクノロジーを安易に適用することの危険性について、本書は幾度も警鐘を鳴らすのである。

ただし誤解してはならないのは、彼が決して都市へのテクノロジー活用を全否定しているわけではないということだ。むしろ彼は、テクノロジーが自治体のガバナンスや都市生活の改善に役立つ可能性をポジティブに評価している。こうしたスタンスが可能になっているのは、彼が都市に対するテクノロジーの活用を、単に行政のしくみをデジタル化することとしてではなく、そのことを通じていかに民主主義や公正さといった都市の価値を向上させることができるのかという高い目標に位置付けているからであろう。スマート・シティとスマート・イナフ・シティは、テクノロジーが目的化してしまっていないか、市民のための政策目的を達成する上での手段として適切に位置付けられているのかという観点から区別される。本書から真に学ぶべきは、都市の価値の向上を第一に据え、「何のためのスマートか」を問い続ける、そのゆるぎない姿勢だと言える。

翻って日本では、2020年に成立したスーパーシティ法、そして2021年に発足した岸田内閣が打ち出した「デジタル田園都市構想」と、都市行政のデジタル化に向けた枠組みが急速に整えられつつある。本書でも見られたように、テクノロジーの導入があたかもあらゆる問題に対する万能薬かのように扱われる論調が見られる場合には、我々の社会が「テック・ゴーグル」の罠に嵌ってしまっていないかを絶えず確認する必要があるだろう。しかし他方で、都市行政のデジタル化が避けられない道のりであることも確かだ。スマート・シティに関する言説は、ややもすればテクノロジー至上主義に傾いた意見と、反テクノロジー主義に傾いた意見との間で引き裂かれてしまう。しかし著者自ら都市へのテクノロジー導入と都市の価値の向上を両立することは可能であると明言し、そのいずれにも傾くことのない議論を展開する本書の内容は、日本においても「高い目標」を忘れることなくスマート・イナフ・シティを実践してゆくための良き参照点になるのではないかと期待している。

ただし、単に本書で紹介されている成功事例を輸入すればよいという話ではないことに注意したい。そのことが如実に表れているスマート・イナフ・シティの事例として、本書で紹介されているカンザス州ジョンソン群での取り組みに言及しておこう。市民が犯罪に手を染める前に福祉の手を差し伸べるという「能動的な福祉サービス」を実現するために、精神疾患を抱えた市民の通院記録などを解析し、将来警察に逮捕される可能性が高い人物を特定するというプロジェクトである。刑務所に送られてしまう人々の高い精神疾患罹患率ゆえに、地域の刑務所が巨大な精神疾患治療施設かのようになっているというアメリカのコンテクストを踏まえれば、こうした取り組みを理解することもできないわけではない。とはいえ、プライバシーに関わるデータを使って犯罪を犯すかどうかが推定されるという取り組みには、いささか恐怖心を覚えてしまうのが正直なところだ。しかしながら、いかなる外野の勝手な葛藤も、こうした技術システムを自分たちの都市に導入するという政治的選択にジョンソン群の人々が長年をかけて取り組んできたという事実の前では意味を成さない。我々はこうして、著者が述べる都市へのテクノロジー導入を通じた政治的選択の重みが、決して生優しいものではないことに気づかされるのである。ジョンソン群の選択に比肩するような決断を下さなければならない日が、いずれ──あるいは既に──我々にも訪れることになるだろう。本書は我々にとって、その覚悟を怠ってはならないという忠告の書でもある。

家族からの温かいサポートがなければ、本書の訳出は成し得なかった。また友人の森智也氏からは訳文の一部についてフィードバックをいただいた。編集者の井上裕美氏には初めての翻訳に挑戦する我々に対し、さまざまなサポートをいただいた。ここに記して感謝申し上げる。翻訳にあたっては、1章から3章までを中村が、4章から7章までを酒井が翻訳し、その後すべての文章について中村が再度訳文の整理を行なった。訳文に関して不備のある部分は全て訳者の責任である。

中村健太郎・ 酒井康史

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まだお持ちでない方で、もし興味持っていただけたら何卒...。kindle版もあります。

ではまたお会いしましょう。

健太郎


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