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神さまと生きるために知ってほしいこと 10章 あなたの使命(ミッション)

神様は、目的をもって私たちを創造しました。
しかし多くの人たちは、自分の命には意味と目的があることも知らず、ただ漫然と生きています。
また快楽を求め、自分の願望を叶え、可能な限りそれを長く続けるということのために自分自身を使っています。

でも、目先の幸せだけを考えるそのような生き方は、多くの人々の心に虚しさを与えています。
それは、本来創られた自分の性質を活かすことができず、本来の目的に沿った生き方をしていないからです。

「命」を「使う」と書いて、「使命」と読みます。
私たちは、自分の命を、人と神さまに仕えるために使うことによって、生きがいを感じるのです。

「誰かに喜んでもらえた」ということが嬉しかった方はたくさんいらっしゃることでしょう。
一方で、どれだけ不自由なく生活できたとしても、「自分が何の役にも立っていない」という状況は、耐えがたい苦しみをもたらします。

しかし、それを求めるあまり、喜んでもらうことに一生懸命になり過ぎて疲れたり、燃え尽きてしまうこともあります。
それは私たちが、自分自身の性質とは違う方法で、人を喜ばせようとしているからです。

私たちには、神さまから特別な<使命(ミッション)>がひとりひとりに与えられています。
使命に応じて私たちの性格や性質は形作られ、様々な能力や才能<賜物(ギフト)>が与えられています。
そうして様々な能力や才能が与えられた私たちは<キリストのからだ>として他の人々と協力しながら、神さまと人に仕える働きをしていくのです。

このセッションでは、よりよく仕えていくことができるように、私たちがどのような者として創られ、どのような使命を与えられているかということについて考えてみましょう。

1. 使命(ミッション)

私たちすべての人に与えられている大きな使命は、次の3つに集約する事ができます。

① 神さまとの関係、人同士の愛の関係を回復すること
私たちは本来、神さまとの親密な関係に生きる者として創られ、互いに愛し合う者でもありました。
神と人を愛して、私たちが最初に創造された状態に近づくことが、与えられている重要な使命のひとつです。

② 世界を管理すること
これは、自然環境を守り、回復すること。
また、社会をより良い場所に変えていくことでもあります。
私たちが単に富を求めるのではなく、互いの幸せや、平和のために生きる社会を作っていくことも、私たちに与えられている使命です。

③ 神の国を拡大すること
福音を宣べ伝え、ひとりでも多くの人たちが神さまとの愛の関係を回復する手伝いをすることが、私たちに与えられている使命です。
神の国とは、神さまの心が実現している所です。
つまり、私たちが神さまに聞き、従って行動するなら、そこに神の国があるということです。

私たちは、神さまが本来創造した世界に近づきたいと願い、そのための働きをします。
キリスト教という宗教に属する人がどれだけ増えても、神さまに従おうとしないなら、そこに神の国はありません。
私たち一人一人が神さまに聞き従い、神の国が広がるなら、この世界はどれほど素晴らしい場所になることでしょう。
それを考えると、ワクワクしてきませんか?

2. 賜物(ギフト)

「さて、賜物はいろいろありますが、与える方は同じ御霊です。(Iコリント 12:4)」
「同じ一つの御霊がこれらすべてのことをなさるのであり、御霊は、みこころのままに、一人ひとりそれぞれに賜物を分け与えてくださるのです。(Iコリント 12:11)」

自覚しているかどうかはともかくとして、人には賜物が必ず与えられています。
そして、その能力や才能が、与えられている使命と深く関係しているのです。
神さまから与えられている能力や才能全般のことを、聖書では「賜物(ギフト)」と呼んでいます。
広い意味で考えるなら、賜物の種類は無限にあるということもできるでしょう。

―考えてみましょうー
あなたには、どんな賜物が与えられていると思いますか?
自分にわからない場合は、家族や仲の良い友人に聞いてみるとわかることもあります。

3. キリストのからだ

「あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。(Ⅰコリント 12:27)」

私たちは、キリストのからだとして創造されています。
それは、私僕たちがひとりで生き、活動するのではなく、互いにつながりを持って、その関係の中で初めて使命を果たすことができるということを意味しています。

私たちがキリストのからだとしてうまく機能するためには2つの条件があります。

1.  ひとりで働くのではなく、他のキリストのからだとつながり、協力し合うこと。
2.  周りの人と同じことをするのではなく、自分に与えられている役割を果たすこと。

私たちがキリストのからだであるということに関して気を付けておく必要があるのは、私たちはみんな違う使命、違う賜物を持った存在として創られているということです。

使命が違い、賜物が違えば、見えてくるものも価値観も違います。
自分にとって大切だと感じるものが、ある人にとっては何でもないことになります。
自分がどうでもいいと思っていることが、ある人には重要なことかもしれません。
私たちが互いに協力し合うためには、この違いを理解する必要があるでしょう。

それでは私たちは、「自分がどのような者として創造され、どのような使命が与えられているか」ということを、どうやって知ればよいのでしょうか?

私たちは自分の「個性」を知り、「能力」を知り、「霊的成熟性」を磨くことによって、自分に与えられている使命をある程度知ることができます。

自分の個性を観察して、書き記してみましょう

以下の質問に答えることによって、自分の「個性」について考えてみましょう。

A. あなたは、どんなことに喜びを感じていますか?
B. あなたは、どんなことを言われたら嬉しいですか?
C. あなたが時間を忘れるほど楽しいと感じるのは、何をしている時ですか?
D. あなたは、どんな時に悲しいですか?
E. あなたは、どんなことに怒りを感じていますか?
F. 自分にとっては当たり前のことだけど、他の人には難しく感じるようなことはありますか?
G. あなたは、何に一番お金を費やしていると思いますか?
H. あなたを駆り立てているものは何ですか?
I. 世界がどうなれば、人はもっと幸せになると思いますか?

個性:個性とは、神さまが私たちに与えたもので、私たちが生まれつき持っているものです。
生涯において、その本質的な所は変わることがありません。
私たちの情熱、動機、そして傾向は、すべて個性から来るものです。
自分の個性を変えようとしたり、個性と合わないことをすれば、私たちは少なからずストレスを感じるはずです。

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「わたしは、あなたを胎内に形造る前からあなたを知り、あなたが母の胎を出る前からあなたを聖別し、国々への預言者と定めていた。(エレミヤ 1:5)」

神さまは、私たちに与えている使命に合わせて、個性をかたち作っています。
だから私たちに与えられている使命を考えたとき、それは必ず個性の枠内に入るものだということができます。

自分の能力を観察し、書き記してみましょう

J. あなたには、どんな趣味がありますか?
K. あなたは、どんな仕事をしてきましたか?
L. あなたは、どんな資格を持っていますか?
M. あなたは、どんなことが得意ですか?
N. あなたには、どんな事をしている友人が多いですか?
O. あなたが今一番ほしいものは何ですか?
P. あなたがこれまでした中で、一番つらく、苦しい体験は何ですか?
Q. あなたがこれまで、一番長く続けている事は何ですか?
R. これまでの経験の中で、楽しかった事のトップ3は何ですか?

能力: 能力は、学校の勉強で学んだことや、会社での訓練など、経験から受けたものを表しています。
様々な経験が私たちを形作り、また私たちの力となっていきます。
中には、やってみたけれど自分には向かないと思うものもあるかもしれませんが、その経験も実は大切なことだったりするのです。

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「私はあなたのうちにある、偽りのない信仰を思い起こしています。その信仰は、最初あなたの祖母ロイスと母ユニケのうちに宿ったもので、それがあなたのうちにも宿っていると私は確信しています。(2テモテ1:5)」

テモテの純真な信仰は、祖母や母に育てられたことで培われたものだとパウロは言っています。
この環境の中でテモテの能力は開花し、宣教の働きが始まったのです。
また、現時点では、神さまからの使命を果たすためにすべての経験を終えたわけではないという可能性も考えておきましょう。

私たちの経験は点ではなく、線としてつながりを持っていて、一見何の関係もないように見えるふたつの職歴で経験したことが、次の仕事で活かされたりします。
今は、本当の働きに至るための、トレーニングの途中かもしれません。
まだ見えていない“線”が、数年後に体験することを通して繋がっていくのかもしれないのです。

今自分がしているすべての経験を、これまでの経験や、これからする体験と関わるものとして認識しておきましょう。
今の状況がどれだけ苦しく、あるいはつまらないものであっても、未来の自分に必要な体験だということが分かれば、その体験の意味は大きく変わってくるからです。

神さまとの関係を見直してみましょう

S. あなたは神さまとの間に生きた愛の関係を築くことができていますか?
できていないとしたら、どんな改善点があるでしょうか?
T. あなたが、神さまのためにしたいと願うのは、どんなことでしょうか?

霊的成熟性: 霊的成熟性は、私たちの霊的な生活を表しています。
別の言葉で言うと、「神さまとの親密な関係」です。
霊的成熟性は、個性と能力の土台となり、これが軸となってクリスチャンとしての成長が起こります。

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私たちがクリスチャンとして成熟すると、そこには御霊の実と呼ばれる様々な性質が実っていくのです。

「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。(ガラテヤ 5:22-23)」

これは、私たちが神さまの心を求めるうえで、必要不可欠な要素です。
神さまは、アンテオケ教会の人々が礼拝をしている中で、バルナバとパウロを宣教の働きに召しました。

「彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が「さあ、わたしのためにバルナバとサウロを聖別して、わたしが召した働きに就かせなさい」と言われた。(使徒の働き 13:2) 」

私たちのなすべき働きも、祈りと、神さまとの関係を深める礼拝の中で表されるものなのです。

神様の召しを求める

―祈り、求めましょう―
まずは、上のAからTまでの質問に対して自分が描いた答えを眺めてみましょう。
次に、どんな御心にも従う決心をして、祈りの中で神さまの声に耳を澄ませてください。
私たちは、どのようにして神さまに仕え、人に仕えるべきなのでしょうか?
どの様な働き、使命に私たちを召しておられるのでしょうか?
現時点で分かったことがあったら、書き記してみましょう。

追記:以上のことを考え、祈り、求めたうえで、さらにこれを使って稼げる方法を考えてみることもお勧めします。
この地上で働きを続けるためには、生きて生活し、働きを続けていくための資金が必要だからです。

そしてもうひとつ、「生きがいとは何か」ということを表すために世界的に有名になった図を紹介したいと思います。
神さまが与えている人生は、生きがいに満ちたものです。
私たちが与えられた使命に忠実に生きるとき、私たちはそこに生きがいを見出すことができるでしょう。

この図もまた、私たちが自分に与えられた「使命」を見出すヒントになると思います。
ぜひ、参考にしてみてください。

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