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キリストの弟子として生きる

今回はキリストの弟子として生きる方法について書いてみます。

弟子訓練の功罪

キリストの弟子の定義には色々あって、多くの教会が「弟子訓練のプログラム」を作り、それによって教勢を伸ばしている教会もあります。

一方で、「弟子訓練」という言葉そのものにアレルギー反応を起こすようになったクリスチャンも少なくありません。
その多くは画一的に知識を詰め込んだり、伝道の訓練をさせるものであることが、ひとつの原因になっているようです。
自分のためではなく、「組織」のために学び、伝道させられるように感じてしまうのです。

プログラムの履修によっては、キリストの弟子は育ちません。
キリストの弟子であることは、知識でも訓練でもなく、イエスさまとの関係であり、生き方だからです。
知識や訓練のプログラム は、あくまでも枠組みでしかありませんので、誰でもそれをやればいいというものではありません。
神さまに従い、イエスさまと共に生きているという意識が大切なのです。

キリストの弟子とは?

キリストの弟子として生きる生き方は、簡単ではありませんがシンプルです。
それは、イエスさまが生きていたように生きることです。

「神のうちにとどまっていると言う人は、自分もイエスが歩まれたように歩まなければなりません。(1ヨハネ 2:6)」

とは言え、私たちが画一的に、みんな同じようになるのではありません。
イエスさまが歩まれたように歩むことによって、私たちはむしろ自分らしくなっていきます。
真の「自分らしさ」とは、「ありのままの自分」ではなく、「神に創造されたままの自分」です。
それは、神さまから離れて壊れてしまう前の、本来の自分の姿です。
私たちは創造された様に生きるとき、本当の幸せを味わうことができるのです。

ではイエスさまはどのように生きられたでしょうか?
 それは、いつも神さまに聞きながら、神さまに従って生きたのです。

「イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分から何も行うことはできません。すべて父がなさることを、子も同様に行うのです。(ヨハネ5:19)」

キリストの弟子として生きることは、父なる神さまに聞き従って生きることです。
イエスさまは、働きのさ中にも、父なる神さまとの静まった時を持ち、神さまの導きに耳を澄ませました(マルコ1:35など)。
私たちも、自分の思いや行動を優先させるのではなく、常に神さまに聞き、従っていく必要があります。

神さまに聞き従うためには、神さまの声を聞き、神さまの御心を知る必要があります。
聖書の言葉や、直接語り掛けてくださる声に聞き従うことを通して、神さまがなさろうとしていることを実行するのです。

「神さまの声を聞く」ということに驚く方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、聖書の中では様々な人々が、神さまの声を聞いて、それに従い、行動をしています。
それは、耳に直接聞こえる声で話してくれるわけではないと思います。
心に響く声は、自分の思いと混同しやすいですから、神さまの声を聞き分ける方法を学んだり、練習することも必要です。

神さまの声の聞き方

神さまの声を聞く方法を少しだけ紹介しましょう。
大切なのは、神さまは語ってくださるということを心から信じることです。

「羊は牧者の声を聞き分け、従う」と聖書には書かれていますから(ヨハネ10章)、神さまは私たちに必ず語り掛けてくださいます。
そしてその声を聞き分けるために、私たちには聖霊が与えられているのです。

「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。(ヨハネ14:26)」

何も難しく考える必要はありません。
ただ神さまが語り掛けてくださることを信じて、心を研ぎ澄ませることです。
あらゆることに関して神さまの視点で考え、神さまがなさろうとしていることを想像してみます。

「イエスさまの目に、この人はどう写っているでしょう?」
「イエスさまは、この仕事をどうデザインするでしょう?」
「イエスさまは、この出来事にどんな計画を持っているでしょう?」

そんなことを考えながら毎日過ごすだけだけでも、神さまの心に近づいていきます。
その中で、神さまの導きを受け取って行動するのです。

もちろん、聞き間違えることもあります。
神さまだと思っていたら自分の考えだったということもあるでしょう。
でも、間違えることを恐れていては何もできません。

失敗はチャレンジの証と思って、大胆に信じ、大胆に行動しましょう。
そうして、失敗したりうまくいく体験を通して、神さまの思いや計画の中にある私たちの役割が、少しずつ分かって来るのです。  

聖書を通して神さまの価値観を知る

聖書の価値観をしっかり身に付けることも大切です。
聖書の価値観が、神さまの御心を知るための基準となるからです。
日々聖書を読み、私たちの心が神さまの思いと一致していくようにしましょう。

「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。(ヨハネ15:7)」

私たちが神さまの計画にあることを願うとき、私たちは神さまの御業を体験するのです。

活字離れをしている現代人が、聖書だけを読んで神さまの心を理解していくのは難しいと思います。
場合によっては、「聴くドラマ聖書」というアプリを使って、読むのではなく聴くのもいいかもしれません。

また、誤解したまま聖書を解ったつもりになっている人も少なくありません。
解らない時は誰かに聞いたり、本を読んだり、サイトで検索してみましょう。
しかし、牧師だから、神学校で教えているから、多くの人に支持されているからと言って、「正しい」というわけではありません。
「正しい答え」は誰にも分からない部分もありますから、参考程度にして答えを探しつづけるというスタンスが大切です。

聖書全体のメッセージをしっかり理解していると、今読んでいる個所がその中でどのような意味を持っているかを判断しやすくなります。
参考になる本やネットの記事がたくさんありますので、探してみてください。
その際には、異端やカルト的な教えに引っかかってしまわないように気を付けましょう。

よければ、私が福音理解の入門書として書いた「神さまと生きるために知ってほしい12のこと」という電子書籍がありますので、参考にしてみてください。

人を愛する 

人を愛することも、キリストの弟子として大切な要素です。
一言で愛と言っても難しいですが、人の必要を満たしていくということです。

人々の表面的なニーズに応えて行くこと(仕えること)と、本質的なニーズを満たすこと(福音を伝えること)ことのバランスが大切だと思います。
そのために、神さまを知らない人たちに積極的に近づき、知り合い、親しくなっていくことが重要です。

多くの場合、クリスチャンは聖さを求めるあまり世界から離れ、教会に閉じこもってしまう傾向があります。
「世の中の流れに流されないように」ということを言われますが、神さまとの関係さえしっかりしていれば、それほど心配することはありません。
この世の力を恐れ、心配するより、日々神さまに聞き従うことを意識しましょう。

誰を、どのような方法でするべきか、神さまに聞きながら進めていきましょう。
神さまがその答えを持っているからです。

神さまに聞き従うという生き方を実践するために、私たちは「敬天愛人」という本や、「天外内トレーニング」、また「神を体験する」から多くのことを学びました。参考にしてみてください。


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