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神さまと生きるために知ってほしいこと 2章 人間とは?

人間とは、どのような存在でしょうか?
私たちは、自分自身のことが意外にわかっていません。
また、自分自身をどのような存在として認識するかによって、生き方も変わってくるものです。
この章では、聖書が教えている人間観について学んでいきましょう。

―考えてみましょうー
前の章で、この世界はすべて神さまが創造されたと学びました。
そうすると、私たちもまた神さまによって創造された存在だということになります。
神さまは、あなたをどのような人間として創造したと思いますか?
そしてあなたは、神さまが創造した通りに生きているでしょうか?



人は、神さまによって創造されたというのが、聖書の人間観です。
神さまは、私たちをいろいろな個性を持った、別々の人間として創造しています。
全く同じに創られた人間は、ひとりとしていないのです。

この章では、神さまが人間をどのような存在として創造したかということを学んで、自分が何者なのかについて改めて考えてみましょう。
聖書的な価値観を通して人間を理解すると、私たちが本来はどのように生きる存在なのかということが見えてくるはずです。 

1. 人は、それぞれに違う存在として創られた

エレミヤ1:5、ローマ12:4~8、エペソ1:11を読みましょう。

「わたしは、あなたを胎内に形造る前からあなたを知り、あなたが母の胎を出る前からあなたを聖別し、国々への預言者と定めていた。(エレミヤ1:5)」
「それとも、神のいつくしみ深さがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かないつくしみと忍耐と寛容を軽んじているのですか。あなたは、頑なで悔い改める心がないために、神の正しいさばきが現れる御怒りの日の怒りを、自分のために蓄えています。神は、一人ひとり、その人の行いに応じて報いられます。忍耐をもって善を行い、栄光と誉れと朽ちないものを求める者には、永遠のいのちを与え、利己的な思いから真理に従わず、不義に従う者には、怒りと憤りを下されます。(ローマ 2:4-8)」
「神は、みこころの良しとするところにしたがって、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。(エペソ 1:5)」

自分と同じ人間はこの世にひとりもいないということを、考えたことがあるでしょうか?

私たちは、それぞれの性別、性質、性格、興味、特徴が、神さまの計画と目的によって与えられ、創られているのです。
そして、神さまが計画と目的を持って創ったのなら、私たちひとりひとりの命は偶然ではなく、必然だったということです。
それはさらに、私たちがそれぞれに別の役割、別の目的、別の使命を持つ別の存在として創られたということでもあるのです。

2. 人は神に似せて創られた

創世記1:26を読みましょう。

「神は仰せられた。『さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。』」(創世記 1:26)」

人間は、神さまに似せて創られました。
そうは言っても、神さまが私たちと同じ姿かたちをしているということではありません。
神さまと同じような性質を持つ存在として創られたということです。

神さまが創造主であるように、私たちも創造する力が備えられています。
もちろん、私たちは無から有を創ることはできませんが、有る物をそれ以上の存在に創りかえることができます。

物や道具もそうですが、白い紙と絵の具からひとつの世界が作り出されるのを、芸術作品を通して経験したことがありませんか?
単なる音の組み合わせが、心を揺さぶるのを経験したことがありませんか?
「創造性」とか、「クリエイティブ」という言葉がありますが、そういう所に、人間が神に似せられている部分があるのです。


豆知識:
遺伝学上のことで考えるだけでも、ひとつの夫婦の間に生まれる子どもには70兆通りの遺伝子の組み合わせがあると言われます。
ひと組の夫婦の間に生まれる子どもだけでこれだけの組み合わせがあるのですから、人間の遺伝子の組み合わせは恐ろしいほど多くのバリエーションがあることになります。地球上には、現在72億人以上の人が住んでいると言われます。
それだけではなく、これまでの人類の歴史の中で存在した全ての人間を合わせても、一卵性双生児やクローン以外の方法で、同じ遺伝子を持っている人がいる可能性はまずないと言っていいほど、多くの組み合わせが存在するのです。

実際には、遺伝子だけのことではなく、環境や経験など色々な要素があります。
例え双子でも、生涯全く同じ環境と経験で生きることは絶対にありませんから、自分と同じ人間はまず他にいないと言うことができるのです。

3. 神と愛し合うために創られた

イザヤ43:4、申命記6:5を読みましょう。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だから、わたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにする。(イザヤ 43:4)」
「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、【主】を愛しなさい。(申命記 6:5 )」

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人が神に似せられているということはまた、神が愛であるのと同じように、愛する性質を持った存在であることを示しています。
それは、人間が神さまを愛し、神さまから愛されるために創られたということでもあります。

この世界に、必要のない人は誰もいません。
産まれてこない方が良い人はいません。
誰にも望まれないで生まれてきた子どももいません。
例え両親の計画になかったとしても、神さまがその人を望み、必要としているから生まれてきたのです。

4. 互いに愛し合うために創られた

レビ19:18、ヨハネ13:34を読みましょう

「あなたは復讐してはならない。あなたの民の人々に恨みを抱いてはならない。あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。わたしは【主】である。(レビ記 19:18)」
「わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。(ヨハネ 13:34)」

人間は、神を愛するだけでなく、互いを愛する存在としても創られています。
『人はひとりで生きるのはよくない』と聖書には書かれています。
初めの人アダムはエバと出会い結婚しましたが、これは夫婦や家族としての関係だけでなく、あらゆる人間関係を象徴したものです。

この話は、1章の「私たちは別の存在として創られている」という話しに繋がってきます。
別の存在として創られているからこそ、私たちは互いに関係を築き、愛し合い、協力して働きをしていく必要があるのです。

5. 自由意志を持つ者として創られた

創世記2:16~17を読みましょう。

「神である【主】は人に命じられた。『あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。』(創世記 2:16-17)」

人間はロボットの様に、神さまの言いなりに行動するようには創られていません。
私たち人間には、知性も感情も意思も与えられ、自分で考え、自分で決断する能力を与えられています。

でもそれは、神さまに背くという選択もできるということでもあります。
事実、アダムとエバは神さまに背き、私たち人間は罪人となってしまったと聖書は教えています。
私たちは、自分の意志で神さまに向かい、神さまに従う選択をする必要があるのです。

私たちに背いてもらいたくなかったなら、神さまはどうして、私たちに「自由意志」などというものを与えたのでしょう?
それは、「自由意志」がある状態で選択をするのでない限り、「愛」は「愛」として機能しないからです。

例えば、あなたが嫌いな人から、脅迫されるか買収されるなどして、「俺のことを愛せ」と強要されたとします。
あなたは「愛しています」と言うかもしれませんが、それは愛でしょうか?
どれだけ上手に、愛しているよう振る舞ったとしても、あなたの側に「愛する意思」がなければ、それは愛ではありません。

神さまが私たちに求めているのは、「愛しています」という言葉ではなく、心から愛する意思であり、心です。
私たちが意思を持って愛するためには、「自由意志」が不可欠なのです。
このことについては、次の章でもお話しします。

6. 世界を管理する者として創られた

創世記1:28を読みましょう。

「神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。『生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。』(創世記 1:28)」

私たち人類は、この世界を支配するために創造されたと聖書には書かれています。
支配と言うと、人間が好き勝手にしてしも良いように聞こえるかもしれませんが、これはつまり神さまが創ったこの世界を維持し、管理する使命が与えられていたということです。

自然環境を守り、社会をうまく構築し、経済を動かし、人々の幸せを守ることも世界の管理です。
神さまが創った世界は完璧なものでしたから、その秩序を保ち、私たち自身がそこで幸せに生きるということが本来の姿だったかもしれません。

7. 永遠に生きる者として創られた

創世記3:22を読みましょう。

「神である【主】はこう言われた。『見よ。人はわれわれのうちのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、人がその手を伸ばして、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きることがないようにしよう。』(創世記 3:22)」

神さまが創られた世界には、死というものがありませんでした。
神さまが永遠に存在する方であるのと同じように、私たちにも永遠の命が与えられていたのです。

―考えてみましょうー
聖書を読んでいくと、私たち人間が素晴らしい、特別な存在として創造されたことがわかります。
次の質問について想像してみましょう。

1. もしも人が、全て同じ人として創られたとしたら、世界はどのようなものになっていたと思いますか?

2. 今日学んできたように人間が創られたのだとしたら、最高の人生とはどんな生き方だと思いますか?
あなたは、そんな生き方をしたいと思いますか?

3. あなたや、周りの人たちは、そのような最高の人生を生きていると思いますか?
そうでないとしたら、最高の人生を生きるように創られたはずの私たちが、そう生きていないのはなぜでしょうか?



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