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教会に所属せずにクリスチャンになる方法-1

皆さんは、クリスチャンにどのようなイメージを持っているでしょうか?

クリスチャンではない方たちからは、「教会に行っている人」というイメージが大きいようです。
しかし、昨今宗教のイメージは悪く、旧統一協会の影響もあって、教会に行くのは恐いと感じる人も少なくありません。

一方、あるデータによれば、日本人の多くは、「今は無宗教だが、どれか宗教を選ぶならキリスト教」という人が最も多いと言われています。

そこで、教会に所属したり、通ったりしなくてもクリスチャンになる方法について考えてみました。

教会に行くとなるとちょっと敷居が高いし、カルトにつかまってしまうかもしれない。
でも、教会に行かなくてもクリスチャンになれるのだとしたら、もう少し安心してクリスチャンになってみようと思えるのではないでしょうか?

1.そもそも教会って何なの?

「教会」と聞いて多くの人たちがイメージするのは、三角の屋根で十字架が付いた【建物】ではないでしょうか?
中には長椅子が並んでいて、窓はステンドグラスになっており、パイプオルガンがあるような...。
映画やドラマに出てくる教会は、そんな感じですよね。

中には、「そういう建物ではなくて、ビルの一室にある教会に行ったことがある」という人もいらっしゃるかもしれません。
この場合「教会」が表しているのは、建物ではないかもしれませんが、やっぱり【場所】のことですよね。

もうひとつよくあるのが、【宗教組織】としての教会のイメージです。
「所属する」のが恐いのは、この宗教団体とか、宗教組織としての教会ですよね。
入信したら何をさせられるかわからないような、不安になる部分があります。

これらは、確かに教会を表わしているものではありますし、実際に多くのクリスチャンたちも、教会とはこういうものだと認識しているように思います。
でも、このような教会のイメージは、実際には聖書の中にある「教会」とは全く違うものなのです。

2.「教会」の本来の意味

日本語で「教会」と訳されている聖書の言葉は、元々はエクレシアというギリシア語で、「集まり」というような意味の言葉です。
これは、イエス・キリストを救い主として信じ、共に生きたいと願う人々の集まりを指していました。

「集まり」とは言っても、一つの場所に集まったわけではありません。
世界中に点在するクリスチャンたち、全てをひっくるめて「エクレシア」と呼びましたし、クリスチャンたちが2~3人の少数でも、数十人という規模でも集まるその集まりのことも「エクレシア」と呼びました。

聖書の中では、神の家族として表現されたり、

こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。(エペソ人への手紙 2:19)

新改訳聖書2017版

キリストを頭とする一つの体として表現されることもあります。

教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。(エペソ人への手紙 1:23)

新改訳聖書2017版

そして、とてもステキな表現ですが、キリストの花嫁として表現されている部分もあります。

「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。(エペソ人への手紙 5:31‐32)

新改訳聖書2017版

3.どうして意味が変わったのか?

元々は、このような集まりを意味していていたのに、どうして建物や、場所、宗教組織のことを表わすようになったのでしょう?

それは、時代の流れの中で人々が「キリスト教」という宗教を形成していく中で、集まる意味や目的が変わって行ってしまったからです。
そうして、エクレシアが本来とは別の意味で使われている中で、日本語では「教会」という言葉として翻訳されていったわけです。

そう考えてみると、少し整理できたでしょうか?

あなたが、キリスト教という宗教に入信して、キリスト教徒になりたいと思うなら、恐らく教会という宗教組織に所属して、教会という建物や場所に通う必要があると思います。

でも、本来聖書に記されていたようなクリスチャンになるためには、別に教会という場所や建物に通ったり、宗教組織に所属する必要はないということになります。
聖書で翻訳されているように「教会」という言葉で表現するならば、私たちは「教会に行く」のではなく、「教会になる」からです。

では、聖書に記されている「教会」について、もう少し詳しく見ていきましょう。

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