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生い立ちと独立するまでのお話

こんにちは。
キタハラケンタです。
今回は僕の生い立ちと、キャラクターデザイナー・イラストレーターとして独立するまでのお話です。

出身は北海道幕別町(帯広市の横の町)。
自然に囲まれた、冬は-20℃まで下がることもある田舎町です。

絵を描くことは子供の頃から大好きで、物心ついた頃には、いつも何か描いていました。
小学校の頃の夢は漫画家。
当時はよく、友達をキャラクターにして漫画を描き、それを友達に見せるとみんなすごく楽しんでくれたので、嬉しくてひたすら漫画を描き続ける日々でした。
漫画は中学生の頃まで描き続けます。

高校生の頃は、ほとんど絵を描くことがなくなりました(落書き程度のものはたまに描いていました)。
大学受験が目前に迫ってきたとき、そういえば自分は絵を描く事が好きだったな〜と思い出し、「美大」という言葉が頭にモヤモヤと浮かんできます。
しかし、特にデッサンの勉強をしていたわけではなく、絵で食べていけるとも思えなかったので、その時は断念。
(田舎っ子なので、当時はデザインとアートとイラストの違いをよくわかっていませんでした。。)
埼玉大学教養学部に合格したため、上京。

大学生の頃、ふとしたキッカケでイラストレーターという仕事に憧れ(キッカケが何だったかは忘れてしまいました^^; )また絵を描き始めます。
雑誌『イラストレーション』から知った本秀康さんに憧れ、当時は線画ではなくアクリルガッシュで塗り込んだ絵を描いていました。
大学3年生の時にはパレットクラブスクールというイラストの教室にも1年間通います。講師は、原田治さん、安西水丸さん、荒井良二さん、など、今思えばとても豪華なメンバーでした。

埼玉大学教養学部卒業後、結局絵では食べていけないだろうとあきらめ、一般企業に就職します。
この頃、自分の人生なんてこんなものか〜、と悶々とした日々を過ごします。

結局、絵を描く仕事をするという昔からの夢を諦めきれず、3年で退職。
貯めたお金で桑沢デザイン研究所の夜間部に入学し、デザインの勉強を始めます。

卒業後、ステーショナリーメーカーに就職し、商品企画・デザインを担当。(某円谷プロキャラクターをイラストにした商品企画を担当し、なかなかのヒットとなりました)

ステーショナリーメーカーには3年ほど勤めましたが、デザインのもっと基礎的な部分の経験とブランディングに関する経験を積みたくなり、退職。
農業・一次産業に特化したデザイン・ブランディングを行っている会社に就職し、
デザインの基礎とブランディングの経験をみっちりと積みます。

この時、自分発信のコンテンツを作りたくなり「サードキャット 」を描き始め、デザフェスなどのイベントにも出店するようになります。

デザイン会社に3年ほど勤務した頃。
しっかりとした経験を積ませてもらったかな〜という実感と、自身での活動を広げたいという思いも高まってきたため、思い切って独立を決意。

独立後すぐに出展したクリエイターEXPOというイベントのおかげで、順調にお仕事のご依頼もいただき、地道に活動を続けつつ本日にいたります。
(独立後のお仕事は、このクリエイターEXPOに賭けていました。ここで依頼がもらえてなかったら、特にあてもなかったので厳しかったと思います^^;)

「絵を描く」という自分の一番好きなことを仕事にし、日々楽しみながら頑張っています(^^)

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